ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#35 『ゴールドマン・サックス M&A戦記』 スキームの妙とプロ意識を学ぶ

マッキンゼーゴールドマン・サックス、ハーバード...

タイトルに入れると売上が上がるカタカナ組織のようですが、実際は2~3年在籍しただけ、みたいな中途半端な著者が書かれた本も多い印象です。*1

本著の著者・服部さんは、MIT Sloanを出てから合計14年間ゴールドマン・サックス(以下、GS)の投資銀行部門で戦って最後はマネージング・ディレクターとして退任された方。書籍内で紹介される事例も、通信・自動車・製薬・金融と多岐にわたっているし、それぞれのプロジェクトの金融スキームや現れた課題、プロジェクト期間についても(守秘義務に触れない範囲で)丁寧に語られていて、興味深く読めました。

紹介されているプロジェクト

私はこれまで関わったのはBDDのレベルで、M&Aや資金調達のプロジェクト全体を俯瞰したことはありませんでした。

この本では、それぞれのプロジェクトがどんなきっかけで始まり、その中でGSがどんな役割を期待され、どのくらいの期間でどんな結果に至ったのか、さらにそれらの企業がどんな未来を辿ったのかまで書かれていて、学びたっぷりです。

幅広い。私がもう少しファイナンスのスキームに精通していれば、もっと楽しめたのに...

「MAのチームはそんなことを考えているんだ!」と勉強になったのが、下記のような事例

  • グラクソ:50%出資の子会社について、親会社が株式を単に買い取るのではなく、株式発行主体の子会社自身が株式を買い取る「有償選択減資」を行うことで売却金額を非課税に
  • AOL:既存契約をあえて一方的に破棄し違約金を支払い契約を巻き直すことで、受贈益課税の対象となりうる価値評価の差を圧縮する
  • 日本リース:自動車リースを行う企業の事業譲渡を行う上で、車検証上の所有名義をすべて書き換える必要があり、車検証原本を陸運事務所に持ち込むことの手間、車検証不所持運転の法律リスクを抱えるため、事業譲渡を断念
  • ロシュ・中外:両社ともに血液スクリーニング検査技術を保有するため、統合により米国における独禁法にひっかかる。それを回避するために「有償減資による株式割当」を採用(完全子会社の株式を自社株主に一回で割り当て、資本関係を断絶)

金融のスキームは、ただ引き出しを開けて制度を事例に適用させていくのではなく、極めて高いレベルでの頭の柔軟性、交渉術が必要なんだと痛感しました。

働き方に関するメッセージ

ページを繰り始めてすぐ、著者から働き方についてのメッセージが出てきます。

 基本的な考え方は、 「会社と自分は常に対等な関係でなければならない」というものだ。どこの国でもサラリーマンというものは「社畜」という言葉もあるように、少しでも気を抜けば、やはりどうしても「会社」が有利な立場に立ち、「個人」を支配してくる

 ましてある程度、歳を重ねて結婚して家庭を持ち、住宅ローンを抱えれば、もはや会社の言いなりに人生を歩む以外の選択肢を目指すことは極めて困難な状況に陥りがちだ。しかし、就職直後から会社と自分の考え方のギャップに強く悩まされたこともあって、私は若い頃からこんな考えが強く芽生えた。

(p.2)

この問題意識は、最近私が感じていることと重なります。

会社が上というわけでもない、自分が上というわけでもない。あくまで対等。少なくともそういうマインドセットで働いていくことが、健全に生活していく上で重要です。

 「会社というものは自分の味方ではない。敵とまでは言えないが、少なくとも黙っていても会社が自分のために何かを施してくれるというものでは絶対にない。会社で自分の思いを通すためには、会社と個人は常に対等の関係になければならないし、更に対等な上で日々是勝負であり、これにある程度勝たなければ、自分の思いを遂げることはできない

今でも、この考えは変わっていない。そしてこれを実践するためには、

  • 自分の人生は自分でリスクを取って自分で切り開く、
  • 特に人生の後半の時期に、少なくとも自分の居場所は自分で決められるような立場にいたい、
  • 全く自分の意志とは無関係に、組織の側に自分の居場所を一方的に決められることだけは絶対に避けたい

(p.2-p.3)

プロフェッショナルとしての挟持を感じました。企業の寿命が短くなり、労働市場で戦うシーンが増えていくであろうこれからの時代に、皆に必要となるメンタリティだと感じます。

本を読み進めるに連れて、「自分の働き方はこれでいいのか」「顧客に感謝されるだけの成果をあげているか」について振り返る、良い機会となりました。

 

*1:3年しかいなかった新卒入社先ファームについて、私はなにも書ける気がしません...少なくとも私は

記録#34 『コンヴィヴィアリティのための道具』社会が技術に先行する、その逆ではない。

以前読んだ、『さよなら未来』の中で度々取り上げられていたイヴァン・イリイチの著作。

nozomitanaka.hatenablog.com

イリイチというのはどんな人物だったのか、Wikiを引用。

イヴァン・イリイチ(Ivan Illich、1926年9月4日 - 2002年12月2日)は、オーストリア、ウィーン生まれの哲学者、社会評論家、文明批評家である。現代産業社会批判で知られる。(中略)

思想家としてのイリイチは、学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家権力を見て、過剰な効率性を追い求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判。それらから離れて地に足を下ろした生き方を模索した。

Wikipediaより) 

本書の中でも、産業主義的な意味での生産性向上に向けた取り組みに疑問を呈することに多くのページを割いています。

産業化が進むにつれて、彼が言うところの"限界"を突破してまでその生産性が追求され、手段が目的と化し、人々の自由が制限される、というのがイリイチの主張。

人々は物を手に入れる必要があるだけではない。彼らはなによりも、暮らしを可能にしてくれるものを作り出す自由、それに自分の好みにしたがって形を与える自由、他人をかまったり世話したりするのにそれを用いる自由を必要とするのだ。富める国々の囚人はしばしば、彼らの家族よりも多くの品物やサービスが利用できるが、品物がどのように作られるかということに発言権を持たないし、その品物をどうするかということも決められない。彼らの刑罰は、私のいわゆる自立共生(コンヴィヴィアリティ)を剥奪されていることに存する。彼らは単なる消費者の地位に降格されているのだ。 (p.39)

ここでいうところのコンヴィヴィアリティとは?イリイチはそれを、相互依存のうちに実現された個的自由、と定義します。

資本主義で言うところの独占大企業、社会主義で言うところの巨大政府による個人の自由を奪うあらゆる活動・規制を退け、公正な社会のもとで個々が自立・自律的に生存・生活することを目指す。そこでは個々人が創造性を発揮し、単なる消費者としての立場ではなく、生産者・生活者として生きていくこととなる。

そんなところを目指すための道具として、コンヴィヴィアリティという考え方を提示ているのが本著です。

産業主義的な生産性の正反対を明示するのに、私は自律共生<コンヴィヴィアリティ>という用語を選ぶ。私はその言葉に、各人のあいだの自立的で創造的な交わりと、各人の環境との同様の交わりを意味させ、またこの言葉に、他人と人工的環境によって強いられた需要への確認の条件反射付けられた反応とは対照的な意味をもたせようと思う。私は自立共生とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、又そのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える。私の信じるところでは、いかなる社会においても、自立共生が一定の水準以下に落ち込むにつれて、産業主義的生産性はどんなに増大したとしても、自身が社会成員間に生みだす欲求を有効に満たすことができなくなる。

 (p.39-40)

一方で、「とはいえみんな産業的な効率性を追求している中でコンヴィヴィアリティ的なものを目指すのは難しいよね...」「私はあくまでそこに至るための考え方を提示するよ」と言っているにとどまっていて、なるほど思想家さんなんですね、というのが私の印象です。

とはいえ、技術に対する捉え方だったり、情報というものに対する考え方なんかは参考になる部分が大いにあった気がしています。

たいていの人々は自分の自己イメージを今日の構造につなぎとめており、そのつなぎの杭を打ち込んだ大地を失うことを望まない。彼らは産業化をさらに持続させるいくつかのイデオロギーのひとつに、心のよりどころを見出している。彼らは自分がつながれている進歩の幻想を、是が非でも後押ししなければならないような気になっているのだ。彼らは、人間のエネルギーの投入はいっそう減らし能力の分化はいっそう進めながら満足が増大することを、待ち望み期待している。
(p. 105) 

世界はいかなる情報も含んでいない。それはあるがままの姿でそこにある。世界についての情報は、有機体の世界との相互交渉を通じて、有機体の中に作り出されるものだ。

(p.191)  

技術が社会を規定するのではなく、社会が技術を規定する。そんなコンセプトも面白かったです。

脱資本主義!革命!みたいな言葉が並ぶ部分もあってちょっと喉越し悪めですが、ぱっと読み流すくらいのほうが大意がつかみやすくていいのでは、という感じです。  

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

 

 

記録#33 『TRANSIT39号 今こそ、キューバ』人、歴史、自然、街並、アート、音楽

私のやりたいことリストに「2023年までにキューバ旅行、1ヶ月くらい中米まわる」という項目がどんと鎮座しています。新婚旅行で行こうかなと思いつつハリケーンリスクを考えて回避。まだ未踏の地のままです。

大好きな雑誌TRANSITの最新号がキューバ単独の特集。素晴らしい内容でした。

暮らしと仕事

社会主義国キューバ。食事は配給?家は賃貸?仕事は公務員?

TRANSITのブログの中で誌面のイメージが一部公開されているので、ぜひこちらを。

www.transit.ne.jp

TRANSITの魅力の一つが、その国の生活を感じさせる写真が多く掲載されていること。自然で、その国の毎日を感じることができるもの。

道を歩いてた大学生とか、公演後の踊り子さんとか、ケーキ屋さんから出てきた普通のおっさんとか。きれいなショットばかりの旅行雑誌より、ぐっと惹き込まれる。

かなり丁寧にデータの紹介もしれくれて、↑のブログ内でも紹介されている記事の中で紹介されている生活の実態についての個人的驚きポイントは、

  • 国民の平均月収3千円のなか自営タクシー運転手や民宿オーナーはその30倍稼ぐ
  • 国全体の自営業者は58万人(全体の12%)で増え続けている
  • 1人あたり月44円でパン30個・米2kg・卵26個・塩330g他買えて格安、でも主食含む穀物の70%は輸入品。食料自給率全体も20~30%
  • 家賃はほぼ無料(月数十円の賃料で数十年払うと自分のものに)、住宅売買が解禁されたのは2011年でそれまでは引っ越しも難しかった
  • キューバ人医師も一つの「輸出物」。5万人の医師が海外で働き年80億ドルの外貨を稼ぐ
  • 大学・大学院も学費無料。ただし卒業後3年間は社会奉仕活動が必須で、卒業前に海外に出てしまう人もいる

写真から見える風景と、こんなデータをそれぞれ見ると、現地に行った時に感じることも増えそう。

歴史と英雄

キューバの独立・革命を語る上で欠かせないのが、ホセ・マルティ、チェ・ゲバラフィデル・カストロの3人。彼らの思想や人柄についてもしっかりみっちり紹介がされています。

歌手のコムアイさんがキューバを旅した時、15歳の子に「人生のルールは?」と聞いた時に帰ってきた言葉が「学ぶことが自由になる唯一の方法だ」というホセ・マルティの言葉だったり。ハバナの人がみな、革命の英雄カストロを「フィデル」というファーストネームで呼んでいたり。

革命への熱い想い。教育と学びへの信頼。自由の希求。そんな彼らの心が、今のキューバにも根付いていることが感じられます。

ペンは雄弁なり。国府として敬われているホセ・マルティは、雑誌『黄金時代』で子どもたちに優しく語りかけ、フィデルゲバラも文盲撲滅に務めた。為政者の前に期待するだけでは自由はつかめない。搾取されないため、未来につなぐために自らが賢くあるべきなのだ。彼らは倒すこと以上に築くことに心を砕いた戦士だった。その先に今浴びているこの広場での沢山の笑顔や自由な空気がある。

あと、フィデル・カストロがむちゃむちゃ食いしん坊で、たっぷり昼食を食べた後にアイスクリームを18個も食べたというエピソードには流石に笑いました。

芸術の舞台

バレエで有名なキューバ。いまは踊り全般、アート全体でも盛り上がりを見せているようです。

『新世紀キューバダンスの幕開け!』という記事で紹介されているダンスチーム、ぜひ見に行きたい。

  • ACOSTA DANZA
  • Ballet Folklorico Cutumba
  • Ballet Rakatan
  • Ballet Nacional de Cuba

インテリアデザイナー紹介のコーナーで取り上げられているAmano ProjectだったりReinaldo Togoresだったりの椅子も素敵だし、Martinez-Becerraが手がけたレストランにも行ってみたい。

あぁ、素敵。

おわりに

雑誌の付録として、5人の「キューバの達人」によるトラベルガイドもついてました。

  • Salon Rojo(ライブハウス)
  • La Luz(カフェ)
  • Rio La Plata(バー)
  • Borona(本屋)

あたりはぜひいきたい...

これを持参して、必ず行くぞキューバ

 

 

記録#32 『詩という仕事について』偉大な文人による言葉と文章の本質論

アルゼンチン出身の作家・小説家・詩人でもあるホルヘ・ルイス・ボルヘス

彼が1967-68年にハーバード大学で行った詩学の講義をまとめたのがこの作品です。

文学とは、物語とは、比喩とは。20世紀を代表する文人で言葉の本質を見つめ続けてきた著者からのメッセージが溢れています。

文章・書物は人と触れ合ってこそ。

言葉は、書物は、人に読まれることで世界として立ち上がる。

書物は、物理的なモノであふれた世界における、やはり物理的なモノです。生命なき記号の集合体なのです。ところがそこへ、まともな読み手が現われる。すると、言葉たち自体は単なる記号ですから、むしろ、それら言葉の陰に潜んでいた詩は息を吹き返して、われわれは世界の甦りに立ち会うことになるわけです。
Kindle位置:146) 

すっと入る比喩・暗示

なぜ詩作のなかで比喩・隠喩を用いるのか。それは、断定は論証を要求し、それは人を不審にし、逆の結論に導かれるから。

はっきりした物言いより、暗示の方が遥かにその効果が大きいのです。人間の心理にはどうやら、断定に対してはそれを否定しようとする傾きがある。エマソンの言葉を思い出してください。

Arguments convince nobody.

「論証は何ぴとをも納得させない」と言うのです。それが誰も納得させられないのは、まさに論証として提示されるからです。われわれはそれをとくと眺め、計量し、裏返しにし、逆の結論を出してしまうのです。
Kindle位置:1,049)

言葉・辞書が思考を制約する

私たちは言葉によって思考をしています。思考をするためには、それに合わせた言葉が必要です。

自分自身の思考は自分の中に持つ辞書に制約を受けるし、誰かに物事を伝えるときには、その人が持つ辞書の中でしか内容を伝えることはできません。さらに言語を跨ぐと、正確な対応語がなかったりします。*1

しかし私たちは、相手と自分が同じ言葉の辞書を共有している、という誤解をまましてしまいます。

多くの思い違いのなかに、完璧な辞書が存在するという思い違いがある、あらゆる知覚に対して、あらゆる言説に対して、あらゆる抽象的観念に対して、人はそれに対応するものを、正確な記号を辞書の内に見いだし得ると考える錯誤がある、と。言語が互いに異なっているという事実そのものによって、そうしたものは存在しないと考えさせられるわけです。
Kindle位置:2,504)

なぜそんなことになるのか。言語は、言葉は、それぞれの土地や人からボトムアップで立ち上がってきたものだから。

言語は学士院会員もしくは文献学者の発明品ではないという趣旨であります。それはむしろ、時間を、長い時間をかけながら農民によって、漁民によって、猟師によって、牧夫によって産み出されてきました。図書館などで生じたものではなく、野原から、海から、河から、夜から、明け方から生まれたものなのです。

 (Kindle位置:2,519)

作品をどうつくっていくか。誰、よりも、何。

書き手の立場も読み手の立場も離れて、何を書くか、何を伝えようとしているかに集中すること。

私は作品を書くとき、読者のことは考えません(読者は架空の存在だからです)。また、私自身のことも考えません(恐らく、私もまた架空の存在であるのでしょう)。私が考えるのは何を伝えようとしているかであり、それを損わないよう最善を尽くすわけです。Kindle位置:3,702)

ボルヘスは、上記の講義をメモ一枚見ることなく行ったようです。

すごい。

言葉について改めて考えさせられる素敵な本でした。 

詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)

 

 

*1:出身の長野には「ずく」という(かなり一般的な)言葉がありますが、標準語には対応する言葉がないです

記録#31 『宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八』人を動かす"何か"と"イマジネーション"

NASAのジェット推進研究所(JPL)で働く小野さん。

前著『宇宙を目指して海を渡る』を読んで以来、宇宙を目指す熱い想いと文学張りの素敵文体に魅了され、新著もすかさず読んでみました。

前作は小野さんの自伝的な内容でしたが、今作は、なんというんでしょう、宇宙の、宇宙に関わる人類の本です。

  • 第1章:いかに人類が宇宙に飛び立ったか。ロケット開発に夢を託した偉人たちと戦争のお話。
  • 第2章:アポロ計画。政治や大組織の前にひるまず、信じるものを貫き通した技術者のお話。
  • 第3章:太陽系探査。人が宇宙というものに目を向けてから、失望し、希望を取り戻した観測機のお話。
  • 第4章:地球外生命探査。著者が目下取り組んでいる、火星での生命探査のお話。
  • 第5章:地球外文明探査。間違いなく地球の外に文明はある、人の心をワクワクさせるイマジネーションの話

人を動かす「何か」と「イマジネーション」

この本の中で繰り返しでてくる言葉。

何か」と「イマジネーション」。

人はなぜ宇宙を目指すのか。何が人を地球の外への探検へと駆り立てるのか。その「何か」。衝動としての、「何か」。その根源として存在する、人の想像力、「イマジネーション」

 もちろん、その答えを知ったところで、誰の暮らしも物質的に豊かにはならない。スマホの機能が充実するわけでもなく、車をより安く買えるようになるわけでもなく、あなたの貯金が増えるわけでもなく、飢えた子供を救えるわけでもない。その答えを追うことは無意味だろうか?

 もし無意味と断ずるならば、地球に留まり、物質的豊かさのみを追求するのもまた人類の生き方だと思う。

 でも、僕は知りたい。あなたも知りたくはないだろうか?

 なぜ知りたいのか、と問われれば困るかもしれない。旅に出たい衝動と似ているかもしれない。心の奥深くで何かが「行け」と囁くのだ。きっと人類の集合的な心の奥深くでも、何かが囁いているのだ。「行け」と。あの「何か」が。

 (Kindle位置:2,085)

 その「何か」が宿った人は、夢に向かって突き進む。

『海底2万マイル』や『80日間世界一周』の著者であるジュール・ベルヌは、まだ見ぬ世界に夢を描き、1865年に『地球から月へ』を出版する。それを読んだアメリカ人、ロバート・ゴダートは、月に行くためには大砲ではなく(当時は枯れた技術とされていた)ロケットを、液体燃料を使い再発明した。また、ドイツのロケットの父、ヘールマン・オーベルトは『地球から月へ』を暗記するまで読み、却下されてでも博士論文のテーマには宇宙旅行・ロケットを選んだ。そして、1940年代以降のロケット技術開発の最重要指導者のひとり、フォン・ブラウンをロケット開発の世界へと導いたのは、この却下された博士論文だった。

宿った「何か」がその人を突き動かし、その結果がまた次の誰かの「何か」を刺激していく。

人はこうやって前に進んできた、世界を変えてきたんだ、ということを強く感じます。

イマジネーションとはウイルスのようなものだ。ウイルスは自分では動くことも呼吸をすることもできない。他の生物に感染し、宿主の体を利用することで自己複製して拡散する。イマジネーションも、それ自体には物理的な力も、経済的な力も、政治的な力もない。しかしそれは科学者や、技術者や、小説家や、芸術家や、商人や、独裁者や、政治家や、一般大衆の心に感染し、彼ら彼女らの夢や、好奇心や、創造性や、功名心や、欲や、野望や、打算や、願いを巧みに利用しながら、自己複製し、増殖し、人から人へと拡がり、そして実現するのである。

Kindle位置:671) 

宇宙は人を謙虚に、優しくする

本書の中に、太陽系探査を行ったボイジャー1号が撮った地球の写真が出てきます。

撮影ポイントは、海王星軌道のさらに向こう側。距離にして60億kmの彼方です。

下の写真で、青い丸で囲まれているのが地球です。

f:id:Nozomy_t:20180508160123j:plain

Universe Todayより)

本書の中で紹介されている、天文学者・作家のカール・セーガン*1は著書「Pale Blue Dot(邦題:惑星へ)」で残したこの文章、心にぐっと残るものがあります。少し長いですが、引用。

カール・セーガンはこれをPale Blue Dot(淡く青い点)と呼んだ。この写真にインスパイアされて書かれた彼の著書"Pale Blue Dot”に次のような一節がある。

 

 もう一度、あの点を見て欲しい。あれだ。あれが我々の住みかだ。あれが我々だ。あの上で、あなたが愛する全ての人、あなたが知る全ての人、あなたが聞いたことのある全ての人、歴史上のあらゆる人間が、それぞれの人生を生きた。人類の喜びと苦しみの積み重ね、何千もの自信あふれる宗教やイデオロギーや経済ドクトリン、すべての狩猟採集民、すべてのヒーローと臆病者、すべての文明の創造者と破壊者、すべての王と農民、すべての恋する若者、すべての母と父、希望に満ちた子供、発明者と冒険者、すべてのモラルの説教師、すべての腐敗した政治家、すべての「スーパースター」、全ての「最高指導者」、人類の歴史上すべての聖者と罪人は、この太陽光線にぶら下がった小さなチリの上に生きた。

 地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ。考えてほしい。このピクセルの一方の角の住人が、他方の角に住むほとんど同じ姿の住人に与えた終わりのない残酷さを。彼らはどれだけ頻繁に誤解しあったか。どれだけ熱心に殺しあったか。どれだけ苛烈に憎しみあったか。考えてほしい。幾人の将軍や皇帝が、栄光の勝利によってこの点のほんの一部の一時的な支配者になるために流れた血の川を。

 我々の奢り、自身の重要性への思い込み、我々が宇宙で特別な地位を占めているという幻想。この淡い光の点はそれらに異議を唱える。我々の惑星は宇宙の深遠なる闇に浮かんだ孤独な芥だ。地球の目立たなさ、宇宙の広大さを思うと、人類が自らを危機に陥れても他から救いの手が差し伸べられるとは思えない。

 地球は現在知る限り命を宿す唯一の星だ。少なくとも近い将来に、我々の種族が移民できる場所は他のどこにもない。訪れることはできるだろう。移住はまだだ。好もうと好むまいと、いまのところ、我々は地球に依存せねばならない。

 天文学は我々を謙虚にさせ、自らが何者かを教えてくれる経験である。おそらく、このはるか彼方から撮られた小さな地球の写真ほど、人間の自惚れ、愚かさを端的に表すものはないだろう。それはまた、人類がお互いに優しくし、この淡く青い点、我々にとって唯一の故郷を守り愛する責任を強調するものだと私は思う。
Kindle位置:2,194)

宇宙は人を夢中にさせ、突き動かすとともに、謙虚に、優しくする。

小野さんや、その著作に出てくる登場人物が漏れなく魅力的に見えるのは、みな宇宙という壮大なものに挑む挑戦者でありながら、人や地球の意義を問い続ける哲学者だからなんだと感じました。

素敵な、とても素敵な本でした。 

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八

 

 

*1:ホーキング、宇宙を語る』の序文を書いている人

記録#30 『遅刻してくれてありがとう(下)』母なる自然に学ぶ。

前回の上巻記録に続き。 

nozomitanaka.hatenablog.com

 

下巻は、政治とコミュニティのお話です。

混迷を極める社会の中で、私たちはもっと地球や自然から学ぶべきだ、というのが著者の主張です。

まず自然は、学ぶことをやめない。

母なる自然は生涯学習者だ。BCGのビジネス・コンサルタント、マーティン・リーブズが私に説明してくれたように、母なる自然は、環境変化を探知するシステムとしてフィードバック・ループを使い、最大のレジリエンスと推進力でその変化に対応している植物や動物を見極めて、次世代の植物や動物にとってもっとも望ましい特質(すなわち遺伝子)を普及させている。

Kindle位置:1,356) 

 自然は、動き続けることで動的な安定を追求する。停滞・性的な安定は衰退だと理解している。

安定がダイナミズムの果てしない行動によってもたらされることを、彼女は知っている。安定には停滞のような要素はないと、私たちにきっぱりというはずだ。安定して、均衡がとれているように見える自然システムは、けっして停滞してはいない。

Kindle位置:1,447) 

 自然は、全てを救おうとはせず、新陳代謝を受け入れる。

母なる自然は、破綻もいいことだと考えている。生態系全体がうまくいくためには、個々の植物や動物の破綻が許されなければならない。彼女は自分のあやまち、弱さには容赦がない。種を作り、DNAを未来の世代に伝えるために適応できなかったものも容赦しない。そういったものを死なせれば、強いもののための資源とエネルギーが掘り起こされる。破綻に対して市場がやることを、母なる自然は山火事に対してやる。「成功の余地を生み出すために、自然は失敗した部分を切り捨てる」イギリスの銀行家で人類学者のエドワード・クロッドは、1897年の著書『 Pioneers of Evolution from Thales to Huxley(ターレスからハックスレーに至る進化論の開拓者たち)』で、そう述べている。「適応できないものは絶滅し、適応できるものだけが生き延びる」その灰から新しい生命が生まれる。

 (Kindle位置:1,460) 

 この後もう少しすると、「母なる自然はアメリカとメキシコの間に壁を作る」みたいな言説がでてきてえっ?となりますが、↑のあたりまでは納得です。

 

上下巻を通じて、テクノロジー進化と人間感覚のバランスをどう取っていくのか?ということが通底する大きなテーマでした。下巻は、人間感覚を強化する上での政治や国家、コミュニティ、という話が中心です。

数々の進化と衰退を数十億年に渡って受け入れてきた地球という存在から、メタファーを通じて学ぶことはたくさんあるなと感じます。個人的には、テクノロジーについて扱った上巻が特におすすめです。 

 

記録#29 『遅刻してくれてありがとう(上)』自転車は漕ぐことで安定する、そんな世界。

原題 "Thank you for Being Late"

本の内容は、テクノロジーや地球環境がいかに高速で変わっていっているか、その中で私たちがいかに生活していくかに関する低減。

読み始めて最初数ページは「なんでこのタイトルなんだろう?内容とあっていないな」と思っていました。でもよくよく内容を噛みしめるとすっきり。

「誰かが予定に遅れでもしてくれない限り、ゆっくり考える時間が取れないほど、私たちは忙しない・加速した時代を生きている」

著者のトーマス・フリードマンニューヨーク・タイムズ所属のライターで、全米300万部の大ヒットとなった「フラット化する世界」の著者でもあります。

そんな彼が、とある駐車場の係員との会話をきっかけにして日常の中にふと立ち止まり、自分の周りを見回して、↑の作品を書いてからの10年でいかに世界が大きく変わってしまったかについて思いを巡らせ書いた本が、この「遅刻してくれてありがとう」です。

2004年に私が、世界はフラットになったと宣言して走りまわっていたときには、Facebookはまだ存在していなかった。Twitterはまだ鳥のさえずりを意味する言葉だったし、 雲 は空に浮かんでいただけだった。4Gは駐車スペース、〝 願書(Application)〟は大学に提出する書類だった。ビジネス特化型SNSのLinkedinはほとんど知られておらず、たいがいの人間は刑務所のことだと思っていた。ビッグデータはラッパーにぴったりの名前で、Skypeは、ふつうの人が見ればタイプミスだった。これらのテクノロジーはすべて、私が『フラット化する世界』を書いたあとで開花したKindle位置:488)

加速する時代

なぜこんなに世界が忙しくなっているのか、私たちがそれに翻弄されているのか。

フリードマンが指摘するのは、

  • テクノロジー、物理的なイノベーションの加速が止まらないこと。ムーアの法則に見られるように、その加速度は上がっている。マイクロプロセッサ、センサー、記憶装置、ソフトウェア、ネットワークすべての領域で。
  • その結果市場に投入されるサービスが一気増大していること、かつ物理的な距離を超えることが容易になっていること。複利効果のために拡大はどんどん急に。
  • テクノロジー・市場の加速により自然環境に与える変化・負荷も比例して増加していること。転換点(ティッピングポイント)が見えない中で、いつ急激な崩壊がきてもおかしくない。

ということ。

「これで生活が楽になる!」と期待されたテクノロジーが登場するものの、結局前より忙しくなったよね、ということが往々にして起こります。それは、市場経済というものの宿命で、しょうがないのかもしれません。*1

私たちの期待の程度と関係なく、テクノロジーも市場もどんどん進んでいく。そんな加速の時代に、私たちは生きています。

取り残される人と社会

テクノロジーの進化、地球規模での環境変容、市場のさらなるグローバル化、、

それらの受け手である人間や社会はこれに対応できているのでしょうか。否、というのがフリードマンの主張です。

 その点は重要な事実を示していると、テラーは説明した。人間と社会はこれまでずっと、だいたいにおいて変化に着実に適応してきたが、テクノロジーの変化は急激に加速し、それらの変化をほとんどの人間が吸収できる平均的な速度を超えてしまった。もう大半の人間が、ついていけなくなった。

「それが文化的な不安の原因になっている」とテラーはいう。「それはまた、毎日のように登場する新テクノロジーのすべてから利益を最大限に引き出すことも妨げている。……内燃機関が発明されてから数十年のあいだに、つまり道路に大量生産の車があふれる前に、交通の法規や約束事は徐々に定まった。それらの法規や約束事は、いまも私たちにおおいに役立っているし、それからの100年間、高速道路などの発明に法律を適応させる時間はじゅうぶんにあった。しかし現在は、科学の進歩が、道路を使う私たちの方法に地殻変動のような大変化をもたらしている。議会や自治体は、血眼になって追いつこうとしている。ハイテク企業は、時代遅れで馬鹿げたルールに憤慨している。大衆は考えあぐねている。スマホの技術はウーバーを勃興させたが、ライドシェアリングをどう規制すればいいのかについて世間が判断を下す前に、自動運転車がそれらの規制を時代遅れにしてしまうかもしれない」(Kindle位置:638)

自動運転やCtoCマーケット、さらには仮想通貨のような世界を見ていると、法制度や国の規制がテクノロジーに追いついていないことは明らかです。

それらのようなオフィシャルな制度だけではなくて、私たち個人のレベルでも、テクノロジーの進化に追いついていない・いけない人が一定数でてきていると思います。それは、作り出す立場はもちろん、それらのテクノロジーを受容するということにおいても、です。

個人・社会として、↑の加速に対してどう対応していくか・いけるのか。

このままだと、社会として深い分断を生むか、社会全体がテクノロジー・環境に対して遅れを取ることになるでしょう。

社会にもテクノロジーを、個人には学習を

フリードマンは、そんな時代において、上述したような物理的なテクノロジーに加えて、社会の側での進化・社会的テクノロジーも必要だとしています。

 あるインタビューでベインホッカーは、私たちの眼前の難問を簡潔に要約している。
 〝物理的テクノロジー〟――石器、馬に 輓 かせる 犂、マイクロチップ――の進化〝社会的テクノロジー〟――貨幣、法の支配、規制、ヘンリー・フォードの工場、国連――を区別するところから、論を起こしている。

 社会的テクノロジーは、私たちが協力によって利益を得るために組織をまとめる手法であり、ゼロサム・ゲームではありません。物理的テクノロジーと社会的テクノロジーは共進化します。物理的テクノロジーのイノベーションは、あらたな社会的テクノロジーを可能にします。たとえば、化石燃料テクノロジーは大量生産を可能にしました。スマホはシェアリング・エコノミーを可能にしました。その逆も成り立ちます。社会的テクノロジーは、あらたな物理的テクノロジーを可能にします。スティーブ・ジョブズはグローバルなサプライチェーンなしには、スマホを作れなかったでしょう。Kindle位置:4,442) 

 さらには、各個人にとって、知識ではなく学習の重要性が更に高まると。

未来学者のマリーナ・ゴービスはいう。その世界では、大きな 格差 は「やる気の格差になるでしょう」。セルフ・モチベーション、気概、忍耐力のある人間は、無料もしくは低コストのオンライン・ツールで、一生ずっと創造し、協力し、学びつづける。宿題はやったのかと念を押す親がいなくなっても。(Kindle位置:5,467) 

 おわりに

この本の中で紹介されていたとあるサービスが、個人的にとても素敵だなと感じました。

お酒を飲みながら絵を描く教室を成人向けに提供している〈ペイント・ナイト〉だ。《ブルームバーグ・ビジネスウィーク》2015年7月1日号の記事によれば、〈ペイント・ナイト〉は、「趣味を持ちたがっている弁護士、教師、テクノロジー関係者を中心とする客に、退社後のパーティを用意している」。週に5夜、そこで教える美術教師は、人々の心をつなぐことで年間5万ドルを稼いでいる(Kindle位置:5,339) 

マイアミにいらっしゃる方のブログを拝見したらとてもいい感じ...!! ぜひ行きたい。

Paint Nite (ペイントナイト)の絵画イベントに参加して感じたアメリカ人と日本人の違い

 

下巻はこれからですが、こちらも楽しみにしています:-) 

 

*1:テクノロジーによってなくなる、とされた職業が、市場の拡大によって実は減らなかったという事例(レジ係やパラリーガル等)も紹介されていて、市場というのはつくづく直感に反するものだという気がします。