たなかの読書記録

30歳くらいの男が、読んでよかったなぁと思う本を紹介していきます。

記録#23 『さよなら未来 エディターズ・クロニクル2010-2017』イノベーションは勇気から生まれる

Twitterで下記の記事が流れてきてから、この本を読むのがほんとうに楽しみでした。

sayonaramirai.com

若林さんは、WIREDの編集長をされているときからずっと文章を読むのが楽しみな人で、クラシコムの青木さんとの対談なんか読んでても最高なわけです。

情報はいらない。未来も語るな。必要なのは「希望」である──編集者 若林恵×クラシコム 青木耕平対談 後編 – クラシコムジャーナル

上にあげた表題本の紹介サイトですが、日々テクノロジーがどうこうっていう人たちから色々お話いただく私からしても、このあたりの文章なんてものすごくしびれます。

 新しい世界を再想像するための種は探せばみつかる。少なくとも海外では確実に増えている。ただし、それはテックの領域においてではない。むしろカルチャーだ。「未来を考えることはテクノロジーを考えることである幻想」にまどろんだアタマで無理矢理でっち上げた「未来」をこねくりまわしているうちに、世界の風景はどんどん変わっている。先日北欧で訪ねたほとんどのコワーキングスペースのトイレは、当たり前のようにジェンダーフリーでしたよ、とか。風景が変わるということは文化が変わるということだ。もちろんそこにテクノロジーは大きな寄与をしている。ただし、それはあくまでも遠景の地紋としてだ。 

実際の本の内容は、若林さんが2010年以来Wired.jpだったりメディアに寄稿して記事をベースに、現在地から幾つかコメントを差し挟むものなんですが、↑のスタンスは全然ぶれない。私の解釈ですが、

  • インターネットを中心とするテクノロジーは個人の力を強める方に向かっていて、国家や大企業のような大きな組織から、個人や小企業のような小さな主体に移っていくだろう
  • 一方で、もともと社会の一領域でしかなかった経済が、科学技術なんかを背景にむしろ社会を覆い尽くすような規模にまで広がっていて、KPIだなんだと経済指標でしか評価されないような世の中になっていないか
  • そんな世の中の、科学技術に基づく未来なんて見据えても仕方なくて、希望や感動みたいな人の感情、そんな不安定なものまで抱きしめて進んでいけるようにならなあかんのじゃないか
  • そのためにはまず私たち一人ひとりが根っこの部分から感動する、心揺さぶられるような体験をしようよ、それを基にして人を、物事を見据えようよ、たとえば音楽とか、映画とか、旅とかさ

ということを、何度も、真摯に、まっすぐに伝える本でした。 

 まだ4月ですが、間違いなく今年の読んでよかった本ベスト10に入る本です。そして、今後10年で何度も読み返すことになる本だと思います。

いくつか、心にど刺さりした言葉を。

UXを語る前に自分の感動を見つめる

 自分になんの感動の体験もない人間が、もっともらしく「ユーザー・エクスペリエンス」を語り、数字しかあてにできない人間がしたり顔で「顧客満足」を論ずる。それによっていかに多くの現場がモチベーションを奪われ、クリエイティビティが削がれ、結果どれだけ多くのリスナーが離れていったことだろう。そりゃそうだ。そんな連中が作ったものに一体誰が感動なんかするもんか。

 人を動かす新しい体験をつくろうとするとき、人は「動かされた自分」の体験を基準にしてしか、それをつくることはできない。未来を切り開くことと「自分が心を動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう、とぼくは思っている。(アー・ユー・エクスペリエンスト?)p92

答えの前に問いがある

 昨今「課題解決」なんてことがさかんに言われて、デザインもまた、そのための便利なツールとされている節があるけれど、僕がこの二冊に感銘を受けたのは、そうした風潮に真っ向から抗っていると読めたからだ。いま目に見えている課題を解決するなんて志が低い、そんなのは小さなビジネスしか生まないとティールは喝破し、ウィルコックスは、クスクスと笑いながら優等生的な「課題解決」を茶化してみせる。そしてともに「答え=ソリューション」ではなく「問い」の重要性に思いを至らせてくれるのだ。

 この特集の焦点は、どうやらあたりまえを疑う方法としての「デザイン」といったあたりにありそうだ。「問いのデザイン」とでも言おうか。それは、あまりに素朴な疑問やバカげた視点を見出すことで、見えなかった現実を見せてくれる実験のようなものだ。

 見え方においてはアートや発明といったものと隣接し、機能としては批評やジャーナリズム、詩や演劇のように振る舞い、感情においてはユーモアやノスタルジアなどと結びつく。問いのデザインは単なるソリューションビジネスを超えた、(哲学的な、とも言える)固有の領土を獲得し始めているように見える(専門家の言う「スペキュラティブデザイン」は、これにあたるのだろうか)

 しかし、それが果たして新しいことなのかどうかは知らない。縄文人ダ・ヴィンチが稀代のデザイナーであったというのなら、デザインは単に原点回帰を果たしているだけかもしれず、デザインを「見えていない世界を見ようとする人間の根源的な衝動」と見るのであれば、それを、ぼくらが、いま、なぜ、これほどまでに必要としているのかを問うことこそが、今どきのデザイン論の本義なのかもしれない。 p221

多様性を保つ責任はわたしたち全員にある

 いずれにせよ、僕らは一足飛びに未来に行くことはない。ユートピアディストピアも突然には出現しない。それは絶え間ない変化の蓄積の結果、気づいたらそこに現れているものだろう。その変化の間、日常レベルにおいても様々な軋轢や摩擦を起こしながら、時代の歯車は進んでいく。という意味で言えば、僕らは皆が全員、未来というものに対して多かれ少なかれ責任を負っている。こうなればいいのに、も、こんなものいらない、も、重大な判断、決断となる。そのときぼくらは、なにを見ながら、その判断を下すことになるのだろう。

 ぼくはといえば、今まで生きてきた中で大事だと思ったり、好きだと思ったものが失われないでほしいと思っている。その中身は、当然人それぞれによって違うものであって、それは違っていれば違っているほどいいと思う。ぼくは、未来の暮らしがその振れ幅と多様性とを許容するものであってほしいと思う。(静けさとカオス)p261-262

おわりに

タイトルにも書いた、「イノベーションは勇気から生まれる」ということば。この対になるのは、ニーズから生まれるイノベーション。そんなもんあるかボケ、ということなんでしょう。

勇気と愛。人生を豊かにする2つのもの。

いつも取ってるいい言葉メモが一気に増えました。素敵。おすすめです。