ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#34 『コンヴィヴィアリティのための道具』社会が技術に先行する、その逆ではない。

以前読んだ、『さよなら未来』の中で度々取り上げられていたイヴァン・イリイチの著作。

nozomitanaka.hatenablog.com

イリイチというのはどんな人物だったのか、Wikiを引用。

イヴァン・イリイチ(Ivan Illich、1926年9月4日 - 2002年12月2日)は、オーストリア、ウィーン生まれの哲学者、社会評論家、文明批評家である。現代産業社会批判で知られる。(中略)

思想家としてのイリイチは、学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家権力を見て、過剰な効率性を追い求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判。それらから離れて地に足を下ろした生き方を模索した。

Wikipediaより) 

本書の中でも、産業主義的な意味での生産性向上に向けた取り組みに疑問を呈することに多くのページを割いています。

産業化が進むにつれて、彼が言うところの"限界"を突破してまでその生産性が追求され、手段が目的と化し、人々の自由が制限される、というのがイリイチの主張。

人々は物を手に入れる必要があるだけではない。彼らはなによりも、暮らしを可能にしてくれるものを作り出す自由、それに自分の好みにしたがって形を与える自由、他人をかまったり世話したりするのにそれを用いる自由を必要とするのだ。富める国々の囚人はしばしば、彼らの家族よりも多くの品物やサービスが利用できるが、品物がどのように作られるかということに発言権を持たないし、その品物をどうするかということも決められない。彼らの刑罰は、私のいわゆる自立共生(コンヴィヴィアリティ)を剥奪されていることに存する。彼らは単なる消費者の地位に降格されているのだ。 (p.39)

ここでいうところのコンヴィヴィアリティとは?イリイチはそれを、相互依存のうちに実現された個的自由、と定義します。

資本主義で言うところの独占大企業、社会主義で言うところの巨大政府による個人の自由を奪うあらゆる活動・規制を退け、公正な社会のもとで個々が自立・自律的に生存・生活することを目指す。そこでは個々人が創造性を発揮し、単なる消費者としての立場ではなく、生産者・生活者として生きていくこととなる。

そんなところを目指すための道具として、コンヴィヴィアリティという考え方を提示ているのが本著です。

産業主義的な生産性の正反対を明示するのに、私は自律共生<コンヴィヴィアリティ>という用語を選ぶ。私はその言葉に、各人のあいだの自立的で創造的な交わりと、各人の環境との同様の交わりを意味させ、またこの言葉に、他人と人工的環境によって強いられた需要への確認の条件反射付けられた反応とは対照的な意味をもたせようと思う。私は自立共生とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、又そのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える。私の信じるところでは、いかなる社会においても、自立共生が一定の水準以下に落ち込むにつれて、産業主義的生産性はどんなに増大したとしても、自身が社会成員間に生みだす欲求を有効に満たすことができなくなる。

 (p.39-40)

一方で、「とはいえみんな産業的な効率性を追求している中でコンヴィヴィアリティ的なものを目指すのは難しいよね...」「私はあくまでそこに至るための考え方を提示するよ」と言っているにとどまっていて、なるほど思想家さんなんですね、というのが私の印象です。

とはいえ、技術に対する捉え方だったり、情報というものに対する考え方なんかは参考になる部分が大いにあった気がしています。

たいていの人々は自分の自己イメージを今日の構造につなぎとめており、そのつなぎの杭を打ち込んだ大地を失うことを望まない。彼らは産業化をさらに持続させるいくつかのイデオロギーのひとつに、心のよりどころを見出している。彼らは自分がつながれている進歩の幻想を、是が非でも後押ししなければならないような気になっているのだ。彼らは、人間のエネルギーの投入はいっそう減らし能力の分化はいっそう進めながら満足が増大することを、待ち望み期待している。
(p. 105) 

世界はいかなる情報も含んでいない。それはあるがままの姿でそこにある。世界についての情報は、有機体の世界との相互交渉を通じて、有機体の中に作り出されるものだ。

(p.191)  

技術が社会を規定するのではなく、社会が技術を規定する。そんなコンセプトも面白かったです。

脱資本主義!革命!みたいな言葉が並ぶ部分もあってちょっと喉越し悪めですが、ぱっと読み流すくらいのほうが大意がつかみやすくていいのでは、という感じです。  

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)