ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#60 『シチリア・マフィアの世界』マフィア、それは心のあり方

ふらっと入った図書館で見つけたこの本。

マンガ『サンクチュアリ』が大好きな私として、読まずにはいられないタイトルでした。

シチリア・マフィアの世界 (講談社学術文庫)

シチリア・マフィアの世界 (講談社学術文庫)

 

マフィアの誕生

シチリアのマフィアは、19世紀後半の農村の大土地所有地で生まれます。

一人の大地主が数千ヘクタールの土地を所有しながらパリなどの大都市に居住し、一方で小作農民は自らの手でカバーできる範囲の小規模な土地に縛られている。そこに介在し、農地の管理から治安の維持まで幅広く影響力を行使し始めたのが、マフィアの始まりだと。

アロンジは、マフィアをシチリア人のメンタリティの中に求めることができると認めた上で、それを一つの現象に作り上げた歴史的、経済的、政治的・行政的要因を次のように指摘する。歴史的要因とは、土地貴族と農民の間に介在する農村ブルジョワジーが、極貧、道徳意識の退廃、社会秩序の混乱、荒廃した社会状況を固定することによって、自らの利益を引き出そうとした行為である。

農村において着々と力をつけ始めたマフィアは、政府と深く関わっていきます。

現代で使われる"マフィア"という言葉からは反社会的な意味合いが感じ取れますが、当時のマフィアはむしろ政治や経済に強い影響力を持ち、かつ政府もマフィアを治安維持などに活用した歴史がある、とのこと。

(政府が鎮圧できない山賊討伐に地域のマフィアを活用する、等)

この政府と農村マフィアの強いつながり、というのが、シチリアマフィアの特徴のひとつ。

マフィアという精神

当時のマフィアは自らを「尊敬される人間」と規定します。

シチリア出身の政治家、オルランドが選挙演説で述べた有名な言葉として、「マフィアが名誉という意味で理解されるならば、私はマフィアの人間であることを宣言する」というものがあります。

それくらい、20世紀初頭のシチリアにおいて、マフィアというものが精神性に深く根付いたものだったかがわかります。

しかし大土地所有性の解体や第二次世界大戦をつうじてシチリアの農業生産力が落ちるに従い、マフィアの拠点は農村から都市に移っていきます。農村のマフィアと都市のマフィアは大きく異なっており、都市のマフィアはいまでいう"マフィア"というものとかなり近い存在だったそう。

沈黙と誇りを大切にする農村のマフィアは、世界経済の発展とともに、ゆっくりと姿を消していってしまいました。代わりに台頭してきた企業家としてのマフィアは、政治や経済とと新たな形で結びつき、「イタリア経済の3割は地下経済」と言われるまでになったんですね。

尊敬、というものを軸にして政治や経済に深く根を張っていった農村マフィアが、ファシズムや世界大戦に翻弄されながら、ゆっくりとその形を変えていく。面白い変遷でした。

おわりに 

ここまで、「シチリア・マフィアの根源はその精神にある」というお話ですが、この本のあとに出版されたサルヴォトーレ・ルーポの『マフィアの歴史』のなかで全否定されているようです。

イタリアの現代史を語る上で欠かせないマフィア、という存在。だから研究はこれからもアップデートされ続けるんでしょう。著者の藤澤先生も「この本をたたき台として」とおっしゃられています。

19世紀から1980年頃まで続くシチリア・マフィアの歴史・流れを大きく掴む上でよい一冊だと感じます。 

シチリア・マフィアの世界 (講談社学術文庫)

シチリア・マフィアの世界 (講談社学術文庫)

 

 

記録#59 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』働く、を問い直す

センター試験の現代文にもよく登場する、鷲田清一先生の文章。今回のテーマは"労働"について。

労働=苦役、余暇=レクリエーション・リフレッシュ、という構図・コンセプトはこれからの時代でも活きるものなのか。そんなテーマで書かれた本です。

初版がでたのは1996年ですが、2018年のいまでも十分に"読める"本だと感じました。

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

 

楽しい仕事もあれば、つらい余暇もある

仕事は原則辛いもの、おやすみ・余暇はそんな仕事に向けてリフレッシュしたり体を休める時間。

自分の両親世代の方々と話していると、多くの方はこんな考え方なんだと感じます。鷲田先生はそれに対して、果たしてそうだろうか、と切り込んでいきます。

労働を神聖化し、労働を核に生活が編成されているような社会、それは《労働社会》と呼ぶことができようが、そいういう労働のあり方は、少なくとも現代社会のマジョリティである中間層、つまりじぶんを「中流」とみなしている人たちの実感からは遠い。実際の労働現場、あるいは余暇のひとときをみてみれば、ほとんど何も生み出さないどころか消耗することを目指しているとしか思えないろうどうもあれば、充実した時間の空白もある。逆に空虚な時間を埋めるために働くこともある。たのしいしごともあれば、つらい遊びもある。

(中略)

 現代の都市生活の中には、「仕事」と「遊び」、「労働」と「余暇」の概念的な対比が桎梏と感じられるだけでなく、ときにはほとんど無意味とさえ感じられるシーンが、次第に増えつつある。 p12

この「労働と余暇の区別が曖昧に」というとき、決して「遊ぶようにはたらく人が増えているよやったー!」ということではなく、「仕事だろうと余暇だろうと、全てが"生産性を上げる"という目的のために最適化された活動になってしまっていて、それってもうどちらも"生産性向上活動"という意味で同一なのでは?」ということです。

休日にぱんぱんになるお手軽マッサージやさん、平日働く罪滅ぼし家族サービスをするお父さんたちであふれるショッピングモール、、、、、いろいろ感じるものがありました。

結局、働く、ということをどう考えるか

働く、ということと、余暇を過ごす、ということ。

鷲田先生のこの本は、働く、という視点から両者を捉え直していく取り組みでした。

この本のはじめでは「いきがい」というものについて語られていて、「働くことがいきがいだ、という人が一定数いる⇨さて、働くことの意味を問い直してみようか」というテンションで本文に入っていきます。

最後の最後、補章で、鷲田先生は仕事の意味を「自己実現だとか意味だとかを追い求めるのはある種の病で、仕事というのは自己の限界と他人のおかげ、ということを実感し向き合うところにあるんだよ」といいます。

新卒採用、中途転職のメディアなんかをみていると「もっとあなたらしく!」という表現が目立ちますが、私のしごと感も鷲田先生に近く、たとえ延々と続く雪かきであろうと、私たちはそこで仕事をすることが出来ると思いっています。それも、楽しく。

おわりに

補章の中で、プロ野球選手を目指しながらも叶わず独立リーグに進み、最後は芝生職人になる男性の話がでてきます。独立リーグという場で、自身の夢に「ケリをつけた」と。

それに続く、本章結びの文章。

希望のない人生というのはたぶんありえない。そして希望には、遂げる、潰えるかの、二者択一しかないのではない。希望には、編みなおすという途もある。というか、たえずじぶんの希望を編みなおし、気を取り直して、別の途をさぐっていくのが人生というものなのだろう。働くことには常に意味への問いがついてまわるが、その意味とは、たえず語りなおされるなかで掴みなおされるほかないものなのであろう。<務め>というのも、この時代、その語りなおしをきっと後押ししてくれることばのひとつであろうとおもう。 p189 

昨年読んだ、『クランボルツに学ぶ 夢のあきらめ方』という本にも、夢は進化していく、という話がありました。

まさに希望も同じで、常に編みなおし、進化していくものなんだと感じます。 

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

 

 

記録#58 『今日もていねいに。 暮らしのなかの工夫と発見ノート』

モノマリスト、の本を読んだときに紹介されていた、松浦弥太郎さんの本。

もとから大好きな人の一人なので、改めてこの本を手にとってみました。 

今日もていねいに。 (PHP文庫)

今日もていねいに。 (PHP文庫)

 

2006年から2015年まで 暮しの手帖の編集長を務められ、中目黒にあるCOW Booksの代表も長いことされている松浦さんが見つめてきた、毎日の生活。

そこにある哲学は、表題の通り、毎日をていねいに生きる、ということなんだと感じました。

自分プロジェクトをもつこと

ていねいに毎日を過ごす、というお話の本の中で、頭に出てくるお話が「自分プロジェクト」について。

毎日をただなんとなく、おもしろがりもせず、漫然と生きていくくらいなら、どんなに小さいものであっても自分なりの流儀や決めごとを持ってみては、という提言です。

自分プロジェクトとは、言葉を換えれば、自分で問題を見つけ、答えを考える「独学」です。一日に一つ何かを学ぼうとする心持ちです。 p17

子どもは毎日たくさんの疑問を持ち、周りの人にたくさんの質問をします。(一説では2歳から5歳までのあいだに4万回もの質問をする。*1) 

それは、この世界に関心をもって、観察して、疑問を持つから。

同じように、自分なりに周囲を観察し、問いをもち、自分ごと化していくことで日々がもっと充実していくはずです。

「最近、なにか楽しいことはあった?」こうたずねられたとき、「どうかな、特別に楽しいことはなかったな」などと、あっさり答える人がいます。そのたひ、僕は、ああもったいないなと思うのです。楽しみは、発見するもの。喜びは、工夫するから生まれると僕は信じています。 p27

世の中を面白がること。自分ももっともっと、周りを楽しく観ていきたいなと思いました。

ちなみに松浦さんの自分プロジェクトのひとつは、「毎朝おいしいハーブティーを入れること」だそう。素敵。

自分発で物事を考えること

1日にやることを、松浦さんはThings to doとして上に書き出して一つ一つつぶしていくんだそう。

どんな順番で?

それは、自分の体とリズムにあう順番で。

今日かることを箇条書きでリストアップしたら、優先順位や効率だけを考えるのではなく、自分にとって心地よいリズムでこなしたいと思います。 周りの影響は受けるものの、何かをするときの動機は自分発でありたい、自分の関わることは自分でコントロールしたい、そう願っているのです。 p41

どこまでも自分発で。その繰り返しが「誰がなんていったって」という頑固さと、「たしかにそうかもな」という柔軟さのバランスを心地よく保つことに繋がる気がします。

一人の時間を持つこと

松浦さんも、その奥さんも、一人の時間をとても大切にしているとのこと。

自分という人間に"余白"がなくなってきたとき、生活が硬直しているなと感じたとき、ふらっと引きこもったり、旅にでたりする。それも、自分という人間をしっかりと観察しているからこそできること。

そこで自分という存在に水を上げて、取り戻して、父親だったり夫だったり編集長だったり社長だったり、という役割に戻っていく。

一人の個として立てるからこそ、いろんな役割を背負い込める。

裸んぼうの、なんでもない自分になれるひとときがあれば、そこで自分を取り戻し、一息つけます。そこから真剣に人とかかわり、精一杯、コミュニケーションに心を砕く力が生まれると思うのです。一人の時間がなくては編集長にも父親にも、何者にもなれない、僕はそんなふうに感じています。 p108

おわりに

他にも、食事の話やあいさつの話、贈り物・シェアリングの話、姿勢の話、お金の話、手の話...

いろんなテーマで、暮らし、というものを見つめていらっしゃいます。

自分の生活を見つめ直すための、いい本でした。本当におすすめです。

 

今日もていねいに。 (PHP文庫)

今日もていねいに。 (PHP文庫)

 

 

 

*1:子どもは40000回質問する https://amzn.to/2HX2tFf

記録#57 『ジブリ・ロマンアルバム 紅の豚』 1920年代のイタリアに思いを馳せる

前記事の『The Art of Porco Rosso』に続いて、ジブリの"紅の豚"の紹介本をピックアップ。

紅の豚―カッコイイとは、こういうことさ。 (ジブリ・ロマンアルバム)

紅の豚―カッコイイとは、こういうことさ。 (ジブリ・ロマンアルバム)

 

The Art of ~~ の方とは違って、宮崎駿監督やプロデューサーの鈴木敏夫さんだったり、製作やプロモーションに関わった人たちのインタビューが生っぽく載っています。

今回は、宮崎駿監督のインタビューの中で印象に残った文章をいくつか。

1つ目は、1920年代という激動の時代を生きた登場人物たちのその後を想うシーン。

 あの時代に生きた人間に比べたら、僕らのほうがはるかにへなちょこの経験しか持っていないけれど、でもそれなりに時代の光とか挫折みたいなものを感じて、この年になってしまった。

 そうすると映画を作りながら、この豚はこの後どうやって生きていくんだろうと気になって仕方がなくなった。ぼくの知っている範囲のヨーロッパ史の知識からいっても、その後大変な激動の時代が続くんです。大バカな第二次世界大戦があって、そこでフィオはどうしたんだろう。イタリアの飛行機の町工場が、どういうふうにイタリアの戦争に巻き込まれていったのか。ああいうふうに生きているジーナみたいな女が、ホテルアドリアーノを抱えたままユーゴスラビアと戦争になったときに、彼女はどこに生きたんだろう。 p11-12

2つ目は、ポルコ・ロッソという男の生き様について。

 時代を生きているときに、くだらないものはくだらない、俺は俺でやるという視点を明瞭に持っているキャラクターを出したかった。大混乱や、戦争が起こったときに、この責任は全部俺にあるという視点ではなくて、そういうことは個人として冷厳に見て、やりたくないものはやらない。国のために倒れて犠牲になって死のうということもやらない。俺は俺、俺の魂の責任は俺が持つんだ。豚はそういう男なんです。それが、これから生きていく上で必要だなと、自分も切実に思ったから。 p12

 3つ目は、この映画のメインの受け取り手として想定されていた”中年男性”について。

ボヤーッと20代を過ごしているうちに、とっくの昔に船出していて、一番やらなければいけない事をやらずに30歳になり、まだ中年じゃない中年じゃないといっているうちに、突然おじさんになっちゃうんです。そういう青年期のない、少年からいきなりおじさんというのが今ものすごく多いんじゃないでしょうか。青年期というのは、自己形成してそこからでかけていくという地点です。それを抜きにして始まるということは、取り返しのつかないことをいっぱい意味している。 p14

この3つの発言を、1992年のインタビューで言ってるんですよね。

それから25年以上経った今ここにおいても、意味を持つ時代・社会の切り取り方だなと思いました。

カッコイイとは、こういうことさ。

これからもやっていこうと思います。

紅の豚―カッコイイとは、こういうことさ。 (ジブリ・ロマンアルバム)

紅の豚―カッコイイとは、こういうことさ。 (ジブリ・ロマンアルバム)

 

 

 

記録#56 『The Art of PORCO ROSSO』カッコイイとは、こういうことさ。

兵庫県立美術館でやっている、ジブリの大博覧会にいってきました。*1

www.ghibli.jp

小さい頃から紅の豚が大好きで、グッズ販売で思わず買ってしまったのがこの本。

The Art of Porco Rosso

The Art of Porco Rosso

 

 博覧会の中で、表題にある「カッコイイとは、こういうことさ」が定まるまでの、ジブリプロデューサー鈴木さんとコーピーライター糸井重里さんの相談FAXやりとりが公開されたりしていて、とてもワクワクしました。*2

そんな中で、この本です。

ただただ最高

一人のファンとして、1ページ1ページの内容がとても濃く感じます。

ポルコが乗るサボイアS-21が着水してホテル・アドリアーノの桟橋に接岸するまでの姿、ホテルのバーでポルコを迎えるジーナ、ピッコロ社の作業場風景、すべてを包むドブロク市の海岸線、初期のストーリーボードでその一つ一つが描かれていて、ただただ美しい。

空、飛行機が大好きな宮崎駿さんらしく、登場する戦闘艇一つ一つについて翼幅や全長、エンジン構成、最高速度まで丁寧に記載されています。

この本を読んで改めて紅の豚を見ると、また違った味わいになりそう。次の週末にすることが増えてしまいました。

なんとなく見えてきた、私が紅の豚を好きな理由

この本の冒頭、 宮崎駿さんが書いた「演出覚書 ---紅の豚メモ---」という文章の内容がでてきます。

背景として、もともと紅の豚JALと共同で”羽田発着の国際線の機内で上映される30分程度の作品”として企画が始まった、ということがあるんですが、それを踏まえて、以下の内容。

○マンガ映画の復活

 国際便の疲れきったビジネスマン達の、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。少年少女たちや、おばさま達にも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画である」事を忘れてはならない。

 陽気だが、ランチキさわぎではなく。

 ダイナミックだが、破壊的ではない。

 愛はたっぷりあるが、肉欲は余計だ。

 誇りと自由に満ち、小技の仕掛けを廃してストーリーは単純に、登場人物たちの動機も明快そのものである。

 男達はみんな陽気で快活だし、女達は魅力にあふれ、人生を楽しんでいる。そして世界も又、限りなく明るく美しい。そういう映画を作ろうというのである。

後半が、まさにまさに、という内容。更に続きます。

○人物の描写は、氷山の水上部分と心得よ

ポルコ、フィオ、ドン・クッチ*3、ピッコロ、司令官、ホテルのマダム*4、マンマユート団の面々、その他の空賊達、これ等主要な登場人物が、みな人生を刻んできたリアリティを持つこと。バカさわぎは、つらいことを抱えているからだし、単純さは一皮むけて手に入れたものなのだ。どの人物も大切にしなければならない。そのバカさを愛すべし、その他大勢の描写に手抜きは禁物。よくある誤り --- 自分よりバカなものを描くのがマンガという誤解 --- を犯してはならない。さもないと、酸欠の中年男たちは納得しない。

これも、心にぐっととくる内容。

辛さを乗り越え、それでも一部を抱えつつ、だからこその単純さ・ばか騒ぎ。

どうやら私は小さいときから中年男の精神を持っていたようです。

最高の一冊が、我が家の本棚に加わりました。

The Art of Porco Rosso

The Art of Porco Rosso

 

 

 

*1:最寄り駅はJR灘駅or阪神岩屋駅。7/1まで。土日は家族連れで激混み

*2:お二方のやり取り、クライアントワークというものを考える上で感じることがいろいろありそれはまた別のところでなにか書きたいと思います

*3:映画ではドナルド・カーチス

*4:映画ではジー

記録#55 『歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史』社会をよーくよく観察する

『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンドと、『国家はなぜ衰退するのか』のジェイムズ・A・ロビンソンが編著者としてまとめた、経済史分析等に用いられる"自然実験"に関する本です。

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

 

 

自然実験というのは、社会科学という(構造的・倫理的な理由によって)ランダム化などの実験が行いにくい分野において、「自然の中から実験に近い環境を見出してそれを研究対象にしよう!」という分野。

経済学や政治学社会学、心理学なんかで用いられることが多いです。

 

この本は、読み物というよりかは様々な研究者の、自然実験に関する論文を章立てて紹介していく、という形式のもの。

  • 第1章:ポリネシアの島々を文化実験する
  • 第2章:アメリカ西部はなぜ移民が増えたのか 19世紀植民地の成長の三段階
  • 第3章:銀行制度はいかにして成立したか アメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス
  • 第4章:ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか 島の中と島と島の間の比較
  • 第5章:奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか
  • 第6章:イギリスのインド統治はなにを残したか 制度を比較分析する
  • 第7章:フランス革命の拡大と自然実験 アンシャンレジームから資本主義へ

それぞれは、問題意識⇨定義⇨分析⇨結論、みたいなthe 論文ぽい構成になっているので、万人にとって読みやすいかというと??なんですが、内容自体はとても興味深く読めました。

私としては、第4章、第5章、第7章が面白かったです。

  • 第4章:植民地の関係で島の東西が分断されたハイチとドミニカの豊かさの系譜。初期にはハイチのほうが経済的に豊かだったのに、現在はドミニカは経済的に成功している一方ハイチは最貧国のひとつ
  • 第5章:奴隷貿易の輸出地となった場所は、現在他のアフリカ地域と比べても貧しい水準にある。著者の推計によると、アフリカとそれ以外の途上国の所得格差のほぼ30%が、奴隷貿易によって説明できる
  • 第7章:制度変更が経済に与える影響を観察するために、"撹乱"の要因としてドイツ国内でフランス革命の影響が及んだ地域とそうでない地域を区別し分析を行っている

制度の話がでてきて、ヴェブレンなんかを読んだ大学院時代を懐かしく思い返していました。

「経済学者は歴史をこう読み解くのか、そういう着眼点で研究対象を抽出するのか」そんな学びが得られる本です。

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

 

 

記録#54 『人生を変えるモノ選びのルール』 "モノマリスト"への道

いろんな便利ガジェットや素敵プロダクトの紹介をしているブログ『monograph』を運営している堀口さんが出した新著。

発売からさっそく、Kindleで読ませていただきました。 

人生を変えるモノ選びのルール: 思考と暮らしをシンプルに

人生を変えるモノ選びのルール: 思考と暮らしをシンプルに

 

モノの選び方はその人の生き方や考え方に直結するというのが私の持論。せっかく多くの選択肢が選べる豊かなこの世の中だからこそ、一番自分が良いと思える「ときめくモノ」を側に置いておきたいと思いませんか。

Kindle位置:9)

私も大好きな本や愛着のある仕事道具、あとは大好きなねずこんのぬいぐるみなど、なんとなく好きなものに囲まれて生きている・生活しているという実感を持って生活しています。

とっても毎日が豊かです。

「モノマリスト」という生き方

ミニマリストがもてはやされる現代にあって、堀口さんは"モノマリスト"を自称されています。素敵なものに囲まれて、素敵な生活をおくることを志向する。

とてもいいなと思っています。

 モノを減らす意味合いの強い「ミニマリスト」とも少し違うし、モノをただ集める「コレクター」とも違う。

 自分にとって必要な、厳選されたときめくモノだけを周りに置く人々。私はこの人たちを「ミニマリスト」の一つの派生系で「モノマリスト」 と呼んでみようかなと思います。「モノ」を基軸に「生活」を考え、こだわりを持って愛情を注いでいる人。

Kindle位置:379)

そんな堀口さんが紹介するモノは、どれも素敵なものばかり。

Motherhouseのアンティークスクエアバックパック、Hender Schemeの小物入れみたいな身の回りのものから、Insta360やAnker製品のようなガジェットまで。

思いっきり物欲を刺激されてしまいました。

五感のノイズは少なく

堀口さんがすごいなぁと思うところは、「1日一つ、モノを捨てる」をあわせて実践していること。

モノの魅力に取り憑かれてどんどん家の中がカオスになっていくのかと思いきや、一つ増やしたら一つ減らす、の徹底で、家の中は驚くほど整頓されていると。

 「一日一つモノを捨てる」ことは難しくありません。

 むしろ最初のうちは一つモノを捨てるのをきっかけに、「あれも捨てよう」「これもいらない」と次々にモノを捨てられるはずです。

 大事なのは「一つ捨てるだけでいい」というハードルの低さ。コンビニのビニール袋でも、チラシ一枚でもなんでもいいので気軽な気持ちでゴミを一つゴミ箱に捨てると、それが呼び水となり、あれもこれもと自然と片づけモードに移行できるのです。

 この「一日一つ」のきっかけさえあれば、面白いように部屋の中のモノが減っていきます。

(Kindle位置:1,068)

その背景にあるのは、以下に自分の認知に負荷をかけずに必要な集中力・完成を保っていくか、という視点。

一つの物事に集中をする際には「ノイズ」を極力少なくすることが大切です。「ノイズキャンセリング」というと音のノイズを遮断することを指すように「耳のノイズ」にはみなさん敏感ですが、 意外と気がついていないのが目。「視覚のノイズ」です。  人間の目は非常に優れた感覚器官。『人は見た目が9割』という本がベストセラーになるくらい、人間の感性の大部分が視覚に左右されています。

 ですから私は極力自宅のインテリアはシンプルにし、テーブルの上は植物以外を置かず、服も雑貨も目に見えないように箱の中にしまっています。

 (Kindle位置:467)

 このあたりの習慣はぜひ見習いたいところ。。

おわりに

堀口さんが本書の中で、「モノの良さとはつまり調和である」って言うことをおっしゃっていて、とてもしっくり来ました。私も普段から、「馴染む」「鞣す」みたいな概念が好きなんですが、それに近いなと。

もっともっと、自分にとって心地良い、それでいて刺激的なものに囲まれて、楽しいモノマリスト生活を送っていきたいと思いました。

自分の身の回りのモノを一つ一つ見返したくなる、とても良い本でした。

人生を変えるモノ選びのルール: 思考と暮らしをシンプルに

人生を変えるモノ選びのルール: 思考と暮らしをシンプルに