記録#24 『Lean UX アジャイルなチームによるプロダクト開発』Leanは文化だ。
5月から会社での役職が「リードソリューションデザイナー」になるので、GWの課題図書、学び直しです。
良いプロダクトをいかにスムーズに世に出していくか。デザイン、エンジニアリング、QA、マーケ、それぞれのチームが最適化された動きをしていても、全体を通してみたときには必ずしも理想的な進め方になっておらず、しばしば手戻りしたり、成果が無駄になったりする。
そこには断絶されたチームがあり、異なる目標があり、違う情報が眠っているから。
じゃあどうそれらをつなぐのか。そのための原則とプロセスに関する本です。内容を簡単にメモで残しておこうと思います。
Lean UXとは
リーンスタートアップとアジャイル開発に触発されて誕生した、コレボレーティブかつ部門横断的な活動によってプロダクトの本質を素早く明らかにするための実践的な手法
- ユーザー、ユーザーの課題やニーズ、解決策、プロダクトやサービスにおける成功の定義についてチームの共通理解を得ることを目指す
- 意思決定に求められる証拠や検証結果を構築するために、デリバリーよりも学習を優先
Lean UXの基盤
①ユーザーエクスペリエンスデザイン
- 人間を直接的に観察することを原動力とし、
- デザイナー的な感性と手法を用いて技術的に実現可能なものを活用し、事業戦略とユーザー価値とマーケットにおける機会に置き換えながら人々のニーズを満たしていく
②アジャイルソフトウェア開発
- プロセスやツールよりも対人コミュニケーション
- 包括的なドキュメントよりも動くソフトウェア
- 交渉よりもユーザーとの協調
- 計画に従うことよりも変化への対応
③リーンスタートアップ
- 構築→計測→学習(Build→Measure→Learn)
Lean UXの原則
●チームビルディング
- 部門横断チームで小規模+一つの場所に:非公式コミュニケーションを促進する
- 自己充足的で権限を持つ:外部環境との依存関係を最小化する
- 課題焦点型:機能の実装ではなく課題解決を目指す
●チーム・組織文化
- 疑問から確信へ:最初はすべて推測や仮説、徐々に確度を上げる
- 結果ではなく成果:有意義かつ計測可能なユーザーの変化を追う
- 無駄を省く:最終目的とのつながりを担保
- 共通理解を生む:チームとしての集合知
- ヒーローは不要:個人に頼らない
- 失敗を許容する
●プロセス
- バッチサイズを小さく:実装していないアイディア(在庫)を減らす
- 継続して発見する:定期的にユーザーをプロセスに巻き込む
- ユーザー中心・現場中心に:GOOB(Getting out of the Building)
- 仕事を外面化:自分の手元に仕事を閉じない、誰でも見える場所に
- 分析より形に:成果物ベースでの議論を
- 中間生成物をなくす:ドキュメンテーションへらす
おわりに
プロセスについても色々事例があって面白いんですが、Lean UXの実現のために一番必要なのはツールや知識ではなく、文化なんだと感じました。
良いプロダクトをつくるための組織づくり・文化づくり、改めてがんばっていきます。
Lean UX 第2版 ―アジャイルなチームによるプロダクト開発 (THE LEAN SERIES)
- 作者: ジェフ・ゴーセルフ,ジョシュ・セイデン,坂田一倫,エリック・リース,児島修
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2017/07/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
記録#23 『さよなら未来 エディターズ・クロニクル2010-2017』イノベーションは勇気から生まれる
Twitterで下記の記事が流れてきてから、この本を読むのがほんとうに楽しみでした。
若林さんは、WIREDの編集長をされているときからずっと文章を読むのが楽しみな人で、クラシコムの青木さんとの対談なんか読んでても最高なわけです。
情報はいらない。未来も語るな。必要なのは「希望」である──編集者 若林恵×クラシコム 青木耕平対談 後編 – クラシコムジャーナル
上にあげた表題本の紹介サイトですが、日々テクノロジーがどうこうっていう人たちから色々お話いただく私からしても、このあたりの文章なんてものすごくしびれます。
新しい世界を再想像するための種は探せばみつかる。少なくとも海外では確実に増えている。ただし、それはテックの領域においてではない。むしろカルチャーだ。「未来を考えることはテクノロジーを考えることである幻想」にまどろんだアタマで無理矢理でっち上げた「未来」をこねくりまわしているうちに、世界の風景はどんどん変わっている。先日北欧で訪ねたほとんどのコワーキングスペースのトイレは、当たり前のようにジェンダーフリーでしたよ、とか。風景が変わるということは文化が変わるということだ。もちろんそこにテクノロジーは大きな寄与をしている。ただし、それはあくまでも遠景の地紋としてだ。
実際の本の内容は、若林さんが2010年以来Wired.jpだったりメディアに寄稿して記事をベースに、現在地から幾つかコメントを差し挟むものなんですが、↑のスタンスは全然ぶれない。私の解釈ですが、
- インターネットを中心とするテクノロジーは個人の力を強める方に向かっていて、国家や大企業のような大きな組織から、個人や小企業のような小さな主体に移っていくだろう
- 一方で、もともと社会の一領域でしかなかった経済が、科学技術なんかを背景にむしろ社会を覆い尽くすような規模にまで広がっていて、KPIだなんだと経済指標でしか評価されないような世の中になっていないか
- そんな世の中の、科学技術に基づく未来なんて見据えても仕方なくて、希望や感動みたいな人の感情、そんな不安定なものまで抱きしめて進んでいけるようにならなあかんのじゃないか
- そのためにはまず私たち一人ひとりが根っこの部分から感動する、心揺さぶられるような体験をしようよ、それを基にして人を、物事を見据えようよ、たとえば音楽とか、映画とか、旅とかさ
ということを、何度も、真摯に、まっすぐに伝える本でした。
まだ4月ですが、間違いなく今年の読んでよかった本ベスト10に入る本です。そして、今後10年で何度も読み返すことになる本だと思います。
いくつか、心にど刺さりした言葉を。
UXを語る前に自分の感動を見つめる
自分になんの感動の体験もない人間が、もっともらしく「ユーザー・エクスペリエンス」を語り、数字しかあてにできない人間がしたり顔で「顧客満足」を論ずる。それによっていかに多くの現場がモチベーションを奪われ、クリエイティビティが削がれ、結果どれだけ多くのリスナーが離れていったことだろう。そりゃそうだ。そんな連中が作ったものに一体誰が感動なんかするもんか。
人を動かす新しい体験をつくろうとするとき、人は「動かされた自分」の体験を基準にしてしか、それをつくることはできない。未来を切り開くことと「自分が心を動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう、とぼくは思っている。(アー・ユー・エクスペリエンスト?)p92
答えの前に問いがある
昨今「課題解決」なんてことがさかんに言われて、デザインもまた、そのための便利なツールとされている節があるけれど、僕がこの二冊に感銘を受けたのは、そうした風潮に真っ向から抗っていると読めたからだ。いま目に見えている課題を解決するなんて志が低い、そんなのは小さなビジネスしか生まないとティールは喝破し、ウィルコックスは、クスクスと笑いながら優等生的な「課題解決」を茶化してみせる。そしてともに「答え=ソリューション」ではなく「問い」の重要性に思いを至らせてくれるのだ。
この特集の焦点は、どうやらあたりまえを疑う方法としての「デザイン」といったあたりにありそうだ。「問いのデザイン」とでも言おうか。それは、あまりに素朴な疑問やバカげた視点を見出すことで、見えなかった現実を見せてくれる実験のようなものだ。
見え方においてはアートや発明といったものと隣接し、機能としては批評やジャーナリズム、詩や演劇のように振る舞い、感情においてはユーモアやノスタルジアなどと結びつく。問いのデザインは単なるソリューションビジネスを超えた、(哲学的な、とも言える)固有の領土を獲得し始めているように見える(専門家の言う「スペキュラティブデザイン」は、これにあたるのだろうか)
しかし、それが果たして新しいことなのかどうかは知らない。縄文人やダ・ヴィンチが稀代のデザイナーであったというのなら、デザインは単に原点回帰を果たしているだけかもしれず、デザインを「見えていない世界を見ようとする人間の根源的な衝動」と見るのであれば、それを、ぼくらが、いま、なぜ、これほどまでに必要としているのかを問うことこそが、今どきのデザイン論の本義なのかもしれない。 p221
多様性を保つ責任はわたしたち全員にある
いずれにせよ、僕らは一足飛びに未来に行くことはない。ユートピアもディストピアも突然には出現しない。それは絶え間ない変化の蓄積の結果、気づいたらそこに現れているものだろう。その変化の間、日常レベルにおいても様々な軋轢や摩擦を起こしながら、時代の歯車は進んでいく。という意味で言えば、僕らは皆が全員、未来というものに対して多かれ少なかれ責任を負っている。こうなればいいのに、も、こんなものいらない、も、重大な判断、決断となる。そのときぼくらは、なにを見ながら、その判断を下すことになるのだろう。
ぼくはといえば、今まで生きてきた中で大事だと思ったり、好きだと思ったものが失われないでほしいと思っている。その中身は、当然人それぞれによって違うものであって、それは違っていれば違っているほどいいと思う。ぼくは、未来の暮らしがその振れ幅と多様性とを許容するものであってほしいと思う。(静けさとカオス)p261-262
おわりに
タイトルにも書いた、「イノベーションは勇気から生まれる」ということば。この対になるのは、ニーズから生まれるイノベーション。そんなもんあるかボケ、ということなんでしょう。
勇気と愛。人生を豊かにする2つのもの。
いつも取ってるいい言葉メモが一気に増えました。素敵。おすすめです。
記録#22 『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』 エビデンス・ベースト・食事。
数年前まで、食事に関する情報といえば「減塩!」「低脂肪!」「腹八分目!」「この栄養素!」のような内容が中心だったと思いますが、
最近はもっと尖った食事方法を提示する本が増えてきた気がします。
- ジョコビッチの生まれ変わる食事:グルテンフリー食のすすめ
- シリコンバレー式 自分を変える最強の食事:バターコーヒーなど脂肪摂取
- 世界のエグゼクティブを変えた超一流の食事術:糖質オフのすすめ
とはいえ、どれも個人の体験談+α(関連論文の提示など)に留まっている印象です。
そんな中でこの本。本書表紙裏のタグライン、こんな感じです。
今あなたが信じている健康情報は本当に正しい情報でしょうか?
本書では、最新の膨大な研究論文をもとに、
科学的根拠に裏付けされた「新しい時代の食の常識」を教えます!
著者はハーバードで学び、現在はUCLAで働く医師・医療政策学者の津川友介さん。
個別の論文から安易に結論を出すのではなく、それぞれのエビデンスレベルを見極め、メタアナリシスを中心とした「強い」エビデンスをもつ食事内容を紹介してくれています。かつ、それぞれの食事がどの疾患のリスクをどの程度低減させるのか(例:1日あたり85~170gの魚を摂取すると心筋梗塞により死亡するリスクが36%低下する)まで明記しているところも素敵だなと感じるポイントです。
誤った情報を入れないために
今後もどんどん食事に関する研究は進んでいく中で、津川さんはまず以下のような注意点を本書の中で示しています。極端で誤った健康情報があふれるこの環境のなかで行きていかなきゃいけない私たち...
- エビデンスにはレベルがあるよ:メタアナリシスorランダム化比較試験or観察研究、それにも満たない個人の意見
- 「成分」に惑わされすぎるな:緑黄色野菜・果物を食べている人は肺がんが少ないことが報告されているが、βカロテンをサプリとして摂取するとむしろ肺がんリスクは情報する、等
- 病気の人、子供、妊婦など状況によっては究極の食事内容は違うよ
何を食べるべきか
いよいよ本論です。
「日本食は健康に良い!」という人がいますが、これについて検証されたエビデンスはまだないとのこと。一方で、一定の科学的根拠に基づいて健康に良いことがわかっている食事は、イタリアやスペインのような「地中海食」とされています。(日本食のGood=魚や野菜の摂取、Bad=白米+塩分の過剰摂取)
健康に良いということが複数の信頼できる研究で報告されている食品
- 魚:心筋梗塞や乳がんのリスクを減らす
- 野菜と果物:果物は糖尿病予防になる、果物ジュースは糖尿病になる
- 茶色い炭水化物(全粒粉、玄米、そば、キヌア等):心筋梗塞や脳卒中、糖尿病のリスクを減らす
- オリーブオイル:脳卒中やがん、心筋梗塞のリスクを減らす
- ナッツ類:脳卒中やがん、心筋梗塞のリスクを減らす
小数の研究で健康に良い可能性が示唆されている、ひょっとしたら健康に良いかもしれない食品
何を食べないべきか
健康に良いということが複数の信頼できる研究で報告されている食品
小数の研究で健康に悪い可能性が示唆されている、ひょっとしたら健康に悪いかもしれない食品
- マヨネーズ
- マーガリン
上にでてきたそれぞれの食材について、どんな研究があってどんなリスクが報告されているか、相当丁寧にかつわかりやすく書枯れています。その他にも
- グルテンフリーで健康になれるというエビデンスはなく、かつダイエット効果の根拠も乏しいこと
- 卵の摂取量についてはいろいろ説がでているが、1週間に6個以下にしたほうが2型糖尿病や心不全リスクの観点から良い
- 糖質制限として赤いお肉の摂取量を増やすことは脳梗塞やがんのリスクを高めること、かつ代表的な糖質制限ダイエットで6ヶ月では体重減少したものの12ヶ月ではもとに戻ってしまった(リバウンドした)というランダム化比較試験結果があること
などが示されていて、とても勉強になりました。
おわりに
津川さんは本書第1章で、「体に良くない」と「食べるべきでない」を混同しないように、と書いています。
私は加工肉、赤肉、白い炭水化物などは「体に良くない」と説明しているのであって、「食べるべきではない」と主張しているのではない。すべての人はその食事によって得られるメリットとデメリットを十分に理解した上で、何を食べるか選択すべきだと思っている。
甘いものが好きな人にとっては甘いものを食べることで幸せな気持ちになり、幸福度が上がるかもしれない。そういう人にとっては、甘いものをゼロにすることで健康にはなるけれども人生が全く楽しくなくなってしまうこともあるだろう。そのような場合には、幸福度と健康を天秤にかけて、毎日少量の甘いものを食べるという食事を選択するのも合理的な判断であろう。
しかし、そのような食事を正当化するために、「甘いものも少量であれば健康に悪影響はない」と解釈することはおすすめしない。そのように科学的根拠を曲解することは他の人にも間違った情報を与えてしまうリスクがあるためである。(本書pp.40)
私たちは健康になるために生きているわけではないので、正しい情報をもってデメリットを自覚しながら、食べるものを選んでいきたいなと思いました。
よし、まずはお蕎麦の乾麺を大量注文しよう。
記録#21 『10年後の仕事図鑑』3年後も見えない時代の仕事との向き合い方
話題のお二人の対談が一冊の本に。
堀江さんは人生や仕事との向き合い方のお話、
落合さんはテクノロジーとの付き合い方やこれからのお金についてのお話が多かったと思います。
堀江さんって結局本の中で何のお話をしてたんだろうと考えると、
- 過去を振り返るの無駄、未来を考えてもわからないんだから、今を一生懸命に生きようよ
- ありがたいことに自分のやりたいことを突き詰めていけば生活していける社会がテクノロジーによって実現しつつある、活かそうよ
- そんな自分の人生に、自分自身が責任を持とうよ、誰のせいにもせずに
が要約かなと。こうやって書いてみると、過去に読んだ仏教のコンセプトに近いんですよね、「今」のあたり。
落合さんはテクノロジーのお話。医療や介護、物流、小売、芸術、色んな分野でAIやロボティクスがいかに社会を変えていくかについてのコメントも。
どんな話だったか、
- 統計処理や判断みたいなことはAIの得意領域、人間はそこをAIに譲って、目的を定めたり、何かを自由に作ったりすることでお互いにハッピーになれるよ
- 人の生活の中でも、完全にAI・機械に意思決定を委ねる部分(スケジュールとか)とあえて他人と違うブルーオーシャン狙い道を行く部分と「まだら」な状態になるよ
- 自分の専門性や希少価値を立ち上げてブルーオーシャンをつくる上でも、最先端のテクノロジーやサービスに触れ、学び、その世界に貢献しようよ
あたりでしょうか。
最後の、IBM初代社長トーマス・ワトソンの引用も良かったです。
不確かな持論を持つ思想家の道を辿れ。
自らの考えを論争の脅威にさらけ出せ。
率直に意見を述べ、変わり者のレッテルよりも、従順という汚名を恐れよ。
そして、自分にとって重要に見える問題のために、立ち上がり、どんな困難にも立ち向かえ。(Kindle位置:1,997)
仕事図鑑ではないけど、考え方の整理になる良著だと思いました。
記録#20 『心の疲れをとる技術』心のムリ・ムラ・ムダとどう向き合うか
疲れの時代です。
マッサージ屋さんは盛況だし、疲労回復!みたいな本が並び、疲れをふっとばすみたいなCMもたくさん流れています。
体の疲れだけではなくて、心の疲れも大きな問題です。
居酒屋さんにいったときにサラリーマンが「いやー、疲れたよ」といっている時、その疲れは体の疲れでしょうか。心の疲れでしょうか。スーツを着た多くのサラリーマンが疲れを感じているのは、仕事のプレッシャーや家庭の問題に由来する心の疲れでしょう。
体も心もMAXに疲れる職種があります。軍人です。戦場に出向けば過酷な環境で交戦し、生死を争う精神的なプレッシャーも相当なものでしょう。
日本の自衛隊員も、中東に赴いた派遣団の活動は一般の軍隊に近い活動量・精神的負荷を伴うでしょうし、災害に伴う被災地での活動でも、その心身に与える疲労感は相当なものだと思います。
この本の著者・下園壮太さんは、その自衛隊で「コンバットストレス教官」として、隊員に心の疲労・メンタルヘルスについての教育を担当されています。そんな方が教える、心の疲れへの対処法。
人生という長期戦
下園さんは、自衛隊と人生の共通点として、どちらも長期戦であることを指摘します。
今、思うのは、自衛隊のメンタルの強さは「長期戦を戦える力」であるということだ。
自衛隊は国の存続の最後の砦。どんなに苦しくても、どんなに長期化しようとも、決してへこたれず最後まで任務をやり遂げなければならない。そういう組織なのだ。
長期戦を戦うには、二つの要素が必要になる。
一つは「組織力」。自衛隊には戦車や大砲の部隊だけでなく、通信、医療、物資、輸送、情報などの部隊がある。自衛隊が活動するとき、そこには、道路ができ、居住テントが張られ、食堂ができ、お風呂ができ、病院ができ、電話が引かれる。メンタル面も個人だけに任されるのではなく、同僚が支え、上司がケアし、専門家が治療し、組織としても対応する。
長期戦を戦う二つ目の力は、「疲労のコントロール」だ。
何かが起こると、まず一つの部隊が迅速に対応し、一生懸命働く。しかし人間が活動する以上、すぐに疲労してしまう。疲労するということは戦力が低下するということだ。任務達成が危うくなる。そこで、戦力が低下しきる前に、部隊を交代させる。(Kindle位置:20)
長期戦を戦う上で重要なのは、組織化された活動を安定して実施していくために、個々の隊員が疲弊していないこと。
自衛隊は常に組織として一定のパフォーマンスを出せるように、隊員に強制的にオフを与えます。例えもう少しで仕事が完了するところであろうと、プロジェクト全体が長期にわたるのであれば、無理にでも仕事を引き剥がして休息を与える。とても合理的だと思いました。
私たちも、いかに疲弊しようと、人生を勝手にやめるわけには行きません。
自分の頭が求めていなくても、無理にでも疲れを取るための休息を取るべきなのかもしれません。
心のムリ・ムダ・ムラ
下園さんは、心の疲れを「ムリ・ムダ・ムラ」という3つの視点から説明しています。
- ムリ:ムリして疲労がたまっているのに、それを自覚できず、止められず、深みにはまっていくメカニズム
- ムダ:心のエネルギーを最も低下させる、感情のムダ遣いをするメカニズム
- ムラ:エネルギーの出し方にムラがあり、自分と周囲が翻弄されるメカニズム
少し話がそれますが、プロジェクト・マネジメントに関する大好きなブログの中でこの「ムリ・ムダ・ムラ」というコンセプトが紹介されていて、なるほどと思った記憶が蘇りました。下記は2016年に読んだ記事の中でも最も感動した記事のうちのひとつ*1です。
「ムリ」:短期目標を追い続け、だんだんに麻痺してくる心
多くの人が「ムリ」のメカニズムにはまって疲れをためていく。
頑張っている自分が好き、短期的な目標達成のために走り続けている。一方で年齢とともに体力も思考大量も回復力も落ち、自分が想定する限界と実際の限界にギャップがでてくる。
多くの人が短期目標に突き動かされる人生を送っている。
それは、短期目標が持つ魅力が大きいからだ。短期目標は、やる気を瞬発的に出すことができる。
やる気が出ているとき、我々は快感と高揚感を持てるし、自信を感じやすい。短期の目標は、明確に意識しやすいため、仲間と共同作業を行いやすい。だから「仲間と一緒にやり遂げる」という感覚も持てる。
さらに、短期目標は必死にならざるを得ないので、そのほかの小さい悩みを考えるいとまがない。つまり、嫌なことを忘れられる効果もある(Kindle位置:395)
このムリな状態が続くとへたってしまいそうなもんですが、それを続けさせてしまうのが麻痺というメカニズム。
麻痺は興奮状態も伴うために、ムリをしているのにむしろ快感を得てしまうことも。
しかしそれはあくまで一時的なもの、疲れが積み重なると結局は破綻してしまう。
「ムダ」:怒りや不安により自身がダメージをおっていく
疲れというのは、エネルギーを使いすぎている状態。
それは何かを達成するために行っている「ムリ」だけでなく、周囲に自然に反応するときの感情面の「ムダ」からも生まれます。仕事人間や趣味に没頭する人は「ムリ」が、周囲の目が気になって仕方ない人なんかは「ムダ」が心の疲れを招いているのかもしれません。
怒りだけではない。「不安」も最悪をイメージし続ける思考が延々と続くので、消耗が激しい。不安が長引くと、我々はあっという間に体重が減ってしまう。
「喜び」さえ、それほど長くは続けられない。エネルギーを使っていることに変わりはないからだ。喜びは、もともと周囲に安全や食料・水などの存在を知らせる感情で、笑いと大声が特徴だ。笑いと大声もエネルギーを使う。息ができないし、笑い続けることが苦しいのは、誰でも知っている。
どんな感情でも、大きなエネルギーを使っているのだ。(Kindle位置:1,418)
この部分の内容は、以前読んだ「反応しない練習」の内容とも重複するなと思いました。仏が伝えたかったのは、「そんなムダな反応で自分を傷つけてもいいことないよ」ってことでしょう。
「ムラ」:ムリ・ムダを繰り返す心の波
なにか最適なレベルがあるときに、過剰にやりすぎてしまうことを「ムリ」、必要以上に資源を使いすぎてしまうことを「ムダ」。そのムリ・ムダの状態が一定せず、行き来してしまうことが「ムラ」です。
心が麻痺して「ムリ」の状態が長く続き、その後心が折れてしまい作業にミスが増えて「ムダ」の状態に移行する。その後復帰してまた「ムリ」をしてしまう。こんな状態は、「ムラ」の多い状態といえます。
ムリとムダの混在がムラだ。ムラは、何かをしようとすると必ず生起する。それは、人がやはり動物で、やる気のある時とそうでない時、健康な時と病気の時、スキルが十分な時と未熟な時があるからだ。
だから、ムラをゼロにする必要はないが、コンスタントなパフォーマンスをするためにはムラを少なくしなければならない。 (Kindle位置:2,587)
ムラが大きくなると、本人が辛いのはもちろん、周りの人も対処が難しくなります。
心の疲労とどう向き合うか
この本のタイトルには「心の疲れを取る技術」とありますが、これは何かの道具を買ったり学んだりすればすぐに身につく技術ではありません。
- 日常の「ムリ」をなくすには、組織としての休憩導入の仕組み化、個人としての動・静両方のストレス解消方法探索が必要
- 感情の「ムダ」を無くすためには、①湧き上がった不要な感情を抑える練習②大局的に物事を見る視点コントロールの練習③自信を感じられる工夫・練習が必要
- 「ムラ」をなくすには、まずは本人のムリを減らすこと。周り・チームとしてできる対策は、予備・バッファを持つころ
どれも、組織・チームとして工夫しましょう、個人としても意識して練習しましょう、という内容です。
そらそうですね。一瞬で疲れがなくなったら言うことありませんが、そんなのムリです。
個人的には、社会全体としてこの「ムリ・ムダ・ムラ」のために疲弊していて、感情のはけ口を求めている気がします。一部の麻痺した人たちを治療して、その人から派生して苦しんでいる・疲れている人が減っていくといいなと思います。
自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)
- 作者: 下園壮太??
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/04/01
- メディア: Kindle版
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*1:ふたつだけど。
記録#19 『挑戦 巨大外資』 どこにでもある会社政治の奥深さ
外資系に入りたい・移りたいと言っている就職活動生・日系勤務の若手さん。
ぜひこれを読みましょう。
「外資だろうと、社内政治と根回し、気分人事はどこの組織にもあるんや」
そんな当たり前のことをおしえてくれる小説です。
主人公は、米大手製薬会社ワーナー・パーク社の日本法人に30代前半にして経理本部長としてスカウトされた香山岑之。そんな彼が、期待の本部長として入社してから取締役として退職するまで30年を描いています。
- 仕事はそれほどできないが英語の言語能力が高いために、なんとなく重宝されているだけの英語屋さんという人種がいること
- 本社の政治闘争で各国事務所のヘッドがぽこぽこ変わっていくこと
- 人事評価はいかに正当な基準・システムを入れても結局好き嫌いで首を切られたり評価を下げられたりすること
そんなことをおしえてくれます。
上下巻あってボリュームたっぷりなんですが、作中で主人公はほとんど人事闘争に明け暮れています...
偉くなるとはこういうことなんだろうか、外資で働くって、と考えさせてくれる良い作品だと思います。
記録#18 『どこでも誰とでも働ける』 フラット・リンク・シェアの時代に
『ITビジネスの原理』や『ザ・プラットフォーム―IT企業はなぜ世界を変えるのか?』『モチベーション革命』なんかを書かれている尾原さんの新著。
これらの本をKindle Limitedに提供していたり、Twitterでどんどん発信したり、今っぽい仕事との向き合い方をされてる人だなぁと思って拝見していました。
これからの社会の指針、そこでの働き方
尾原さんが考えるこれからの社会。それは、インターネットによって実現されるフラット×リンク×シェアがトレンドになるはずだ、と。
世界がインターネット化することによる影響は無数にありますが、個人の働き方は、多くの人や企業と対等(フラット) の関係でつながり(リンク)、知識や成果を分け合う(シェア) 形に進むことになるでしょう。むしろ、そうした働き方に適合する人でなければ、ビジネスの輪の中にいることができなくなっていくはず(Kindle位置:75)
一つ前の記事で取り上げたサイボウズ・青野さんの本にもある通り、会社という単位によらず働く人が増えていくだろう社会において、フラットな関係を築き、能動的にリンクして/させて、シェアすることをためらわない、そんな人がビジネスの中心になるだろうと、私も思います。
そのために必要なマインドセットや方法論がばばーっと書いてある本です。
働く上でのマインドセット
自分からまずオープンに、抱えない
自分自身が持っている知識や経験、つながりなんかをクローズド・丸抱えにしないこと。これは、
- 自身がまずオープンにすることによる相手からの信頼の意味合いが大きくなること
- オープンにすることによって、自分自身の旗を立てる・ブランドを立てる効果があること
という意味合い。
さらに、困っていることもどんどんオープンにしよう、というメッセージもありました。
ぼくが新人のときによく言われたのは、「自分で全部やるよりも先輩の力を借りたほうが時間も短縮されるし、結果的にコストも安くなるということなら、ためらわずに聞きに行け」ということ (Kindle位置:621)
私も新卒のときに同じことをたくさん言われました。今でもよく偉い人に聞きに行くし、一方で人に頼られたときにはできるだけ答えようとも思っています。助け合い。
Planから始まるPDCA、ではなくDから始まるDCDCDC...PA
とにかくどんどん実行してみて後から軌道修正をはかる。スタートアップではある種の常識です。
一方でお客さんのところに行くと、まだまだ「計画は?」「見通しは?」から始まるPDCAです*1
成果物が紙だったり物理ハードなんかだと、Pの部分はものすごく大切で、なぜならやり直し・修正のコストが大きいから*2。一方でインターネット上のコンテンツなんかは比較的修正が容易です。
自分の目の前の仕事やキャリアはどうなのか。やり直しコストがむちゃくちゃ大きいのか、修正が効くものなのか。私は、ほとんどの物事は修正コストが小さく、まずやってみちゃったほうがいいと思っています。その見極めができるようになるといいなと思います。
先に行動ありきで何度も試行錯誤を重ねるDCPAサイクルも、コンピュータの処理能力をフル活用した確率論的なアプローチも、インターネットととても相性のよいやり方です。
それと対極にあるのが、プロダクトやサービスを通じて自分たちのこだわりや価値観を提案していく従来型のアプローチです。 この2つの違いは、そのままウェブメディアと紙の雑誌の違いに当てはまります。一長一短ありますが、どちらも必要というのがぼくの考えです(Kindle位置:483)
"ハッカー"になる
解く価値のある課題に対して、まっすぐに取組む人になること。
↓にあるような、これからの時代に活躍する人は少なからずハッカーである、というのはすっと自分に入ってきた内容です。
取り組む価値のある、難易度の高い〝いい課題〟を発見すると、
「おもしろそう! 一緒に解かせてよ」
と仲間がワラワラ集まってきて、世の中を変える解決策を生み出していく。それがハッカーたちの文化なのです。リナックス(Linux) をつくったリーナス・トーバルズのような大物ハッカーも、別に世界をよくするためにやっているわけではないと思います。単に自分の技量の中で挑戦できる最高の課題を、最高のチームでできることが楽しくてやっているのでしょう。それは、彼の本の原題が『Just for Fun』(『それがぼくには楽しかったから』 小学館プロダクション) であることからもわかります。
「自分の〝好き〟をとことん突き詰める」という意味でも、課題を発見するという意味でも、AI時代に活躍できる人というのは、少なからずハッカー的な要素をもった人なのではないか(Kindle位置:1,795)
こんな感じで、事例を用いながら、これからの社会で価値を出していくための働き方・マインドセットを紹介してくれています。
おわりに
内容にもすごく共感できたんですが、巻末にあったこの引用がとても素敵でした。
「謙虚とは、自賛の反対であるとともに、卑下の反対でもある。謙虚とは自己を他と比較せぬということに存する。自己は一個の実在であるがゆえに泰然自若として、他の何物ないしは何者よりも、優れてもおらず、劣ってもおらず、大きくもなく、小さくもないのである」ダグ・ハマーショルド(Kindle位置:2,119)
しっかり読んでも2時間くらいで頭に入ってきます。ぜひぜひ読んでみて下さい:-)
どこでも誰とでも働ける――12の会社で学んだ“これから"の仕事と転職のルール
- 作者: 尾原和啓
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/04/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る