たなかの読書記録

淡々と、読んでよかったなぁと思う本を紹介していきます。本のジャンルはばらばら。紹介するタイミングは四半期/年ごとが基本、その他は気まぐれです。

『サピエンス全史』空想・妄想のちから

ビジネス書大賞2017の受賞作品。原著は2014年に出版され、ビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグもその都市に読んだ本の中で印象に残ったものとして紹介しています。上下巻のたっぷりボリュームで、簡単に手が出しにくいというお話も聞きます。

ビジネスモデル図解をSNSにあげていらっしゃる方が、今週この本に関する図解を挙げていらっしゃいました。内容をぱっと掴みたい方はぜひこちらを参照されるといいんじゃないかと思います。

note.mu

 

おすすめです。Kindleで読んだんですが、合計53箇所もハイライトしていました。
その内容を中心に、簡単にまとめておこうと思います。バラバラとしたメモです。

虚構をつくり、信じる力が人類成功の起源

北京原人ネアンデルタール人などと違って、わたしたちホモ・サピエンスはなぜ現代まで生き延びてきたんでしょうか。本書の中で、単純な身体能力で言うと、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスを大きく上回っていたそうです。

私たちは、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。だが、人類はまる200万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足りない生き物でしかなかった。たとえば100万年前に生きていた人類は、脳が大きく、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず、たえず捕食者を恐れて暮らし、大きな獲物を狩ることは稀で、主に植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた。(Kindle 位置266)

本書では、私たちがひ弱な体というハンデを抱えつつも、(ネアンデルタール人など他の人類を含めた)多くの動物を滅ぼしながら各地に広がっていけたのは、虚構を信じる力によるところが大きい、とされています。これが認知革命

伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。Kindle 位置266)

この認知革命が何に役立ったのか。一つは、集団の規模を大きく変えたことにあります。その最大値は150程度と言われており、この数を超えると集団としての統一性を維持することが困難になります。しかしわたしたちは、宗教や国家、貨幣などの虚構を通じて、数百万以上の人間を一つの組織として内包することに成功しました。

今日でさえ、人間の組織の規模には、150人というこの魔法の数字がおおよその限度として当てはまる。この限界値以下であれば、コミュニティや企業、社会的ネットワーク、軍の部隊は、互いに親密に知り合い、噂話をするという関係に主に基づいて、組織を維持できる。秩序を保つために、正式な位や肩書、法律書は必要ない。(Kindle 位置574)

この認知という能力がその他の動物と我々を区別する大きな差異だという主張は、読みはじめの私にとって大きなインパクトがありました。

1対1、いや10対10でも、私たちはきまりが悪いほどチンパンジーに似ている。重大な違いが見えてくるのは、150という個体数を超えたときで、1,000~2,000という個体数に達すると、その差には肝を潰す。もし何千頭ものチンパンジーを天安門広場ウォール街、ヴァチカン宮殿、国連本部に集めようとしたら、大混乱になる。それとは対照的に、サピエンスはそうした場所に何千という単位でしばしば集まる。サピエンスはいっしょになると、交易のネットワークや集団での祝典、政治的機関といった、単独ではけっして生み出しようのなかった、整然としたパターンを生み出す。私たちとチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。この接着剤こそが、私たちを万物の支配者に仕立てたのだ。Kindle 位置787)

狩りをやめ定住農業をすることで人間ひとりひとりは貧しくなった

人類が狩猟生活を送っていた時、食べるものは多様で、十分なカロリーを取れていました。しかし、定住し農業を行うことで食べるものの種類は偏り、生産性の限界から量もそれほど作れず、十分なエネルギー・栄養を取ることができなくなった、と。なぜそんな生活を人類は続けたのでしょうか?

それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が100人から110人へと増えたなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が10人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、バタンと閉じてしまったのだ。(Kindle 位置1,684)

 不可逆の歴史。一人ひとりが必ずしも幸せになれたとはいえない定住農業への移行は、人類に対してどんなインパクトがあったのでしょう。 

それでは、いったいぜんたい小麦は、その栄養不良の中国人少女を含めた農耕民に何を提供したのか? じつは、個々の人々には何も提供しなかった。だが、ホモ・サピエンスという種全体には、授けたものがあった。小麦を栽培すれば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ。

つまり、一人ひとりは幸せになれないけれども、主全体としては数の増大という意味で繁栄を迎えたことになります。なるほどー。

自分の無知を認識する姿勢が科学を発展させてきた 

人間の数の多寡が国力を決めていた時代が長く続いた中で、新たな要素が加わることになります。それが、科学・テクノロジーです。その原点にあるのは、自らが無知であるという認識と、その上で前提となる共通の神話を作り上げ広めていく力。

科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。両者は、「外の世界がどうなっているか見当もつかない」と口を揃えて言った。両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。(Kindle 位置5,360)

消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。どちらも集合的想像の中にしか存在しないが、その力は絶大だ。何千万ものドイツ人がドイツ国民の存在を信じ、ドイツ国民の象徴を目にして高揚し、ドイツの国民神話を繰り返し語り、ドイツ国民のために資産や時間、労力を惜しまず提供しているかぎり、ドイツは今後も、世界屈指の強国であり続けるだろう。(Kindle 位置6,864)

結局私たちはどこに到達し、これからどこに向かっていくのか

私たちは以前より幸せになっただろうか?

過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか?

無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか?

さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?

無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?

もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?(Kindle 位置7,122)

これはまた、難しい問いですね。読み終えてからいろいろ考えてみたり、整理したりしても、なかなか自分なりの答えは出ません。

いい気づきと問いかけをもらった本でした。