記録#31 『宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八』人を動かす"何か"と"イマジネーション"
前著『宇宙を目指して海を渡る』を読んで以来、宇宙を目指す熱い想いと文学張りの素敵文体に魅了され、新著もすかさず読んでみました。
前作は小野さんの自伝的な内容でしたが、今作は、なんというんでしょう、宇宙の、宇宙に関わる人類の本です。
- 第1章:いかに人類が宇宙に飛び立ったか。ロケット開発に夢を託した偉人たちと戦争のお話。
- 第2章:アポロ計画。政治や大組織の前にひるまず、信じるものを貫き通した技術者のお話。
- 第3章:太陽系探査。人が宇宙というものに目を向けてから、失望し、希望を取り戻した観測機のお話。
- 第4章:地球外生命探査。著者が目下取り組んでいる、火星での生命探査のお話。
- 第5章:地球外文明探査。間違いなく地球の外に文明はある、人の心をワクワクさせるイマジネーションの話
人を動かす「何か」と「イマジネーション」
この本の中で繰り返しでてくる言葉。
「何か」と「イマジネーション」。
人はなぜ宇宙を目指すのか。何が人を地球の外への探検へと駆り立てるのか。その「何か」。衝動としての、「何か」。その根源として存在する、人の想像力、「イマジネーション」
もちろん、その答えを知ったところで、誰の暮らしも物質的に豊かにはならない。スマホの機能が充実するわけでもなく、車をより安く買えるようになるわけでもなく、あなたの貯金が増えるわけでもなく、飢えた子供を救えるわけでもない。その答えを追うことは無意味だろうか?
もし無意味と断ずるならば、地球に留まり、物質的豊かさのみを追求するのもまた人類の生き方だと思う。
でも、僕は知りたい。あなたも知りたくはないだろうか?
なぜ知りたいのか、と問われれば困るかもしれない。旅に出たい衝動と似ているかもしれない。心の奥深くで何かが「行け」と囁くのだ。きっと人類の集合的な心の奥深くでも、何かが囁いているのだ。「行け」と。あの「何か」が。
(Kindle位置:2,085)
その「何か」が宿った人は、夢に向かって突き進む。
『海底2万マイル』や『80日間世界一周』の著者であるジュール・ベルヌは、まだ見ぬ世界に夢を描き、1865年に『地球から月へ』を出版する。それを読んだアメリカ人、ロバート・ゴダートは、月に行くためには大砲ではなく(当時は枯れた技術とされていた)ロケットを、液体燃料を使い再発明した。また、ドイツのロケットの父、ヘールマン・オーベルトは『地球から月へ』を暗記するまで読み、却下されてでも博士論文のテーマには宇宙旅行・ロケットを選んだ。そして、1940年代以降のロケット技術開発の最重要指導者のひとり、フォン・ブラウンをロケット開発の世界へと導いたのは、この却下された博士論文だった。
宿った「何か」がその人を突き動かし、その結果がまた次の誰かの「何か」を刺激していく。
人はこうやって前に進んできた、世界を変えてきたんだ、ということを強く感じます。
イマジネーションとはウイルスのようなものだ。ウイルスは自分では動くことも呼吸をすることもできない。他の生物に感染し、宿主の体を利用することで自己複製して拡散する。イマジネーションも、それ自体には物理的な力も、経済的な力も、政治的な力もない。しかしそれは科学者や、技術者や、小説家や、芸術家や、商人や、独裁者や、政治家や、一般大衆の心に感染し、彼ら彼女らの夢や、好奇心や、創造性や、功名心や、欲や、野望や、打算や、願いを巧みに利用しながら、自己複製し、増殖し、人から人へと拡がり、そして実現するのである。
(Kindle位置:671)
宇宙は人を謙虚に、優しくする
本書の中に、太陽系探査を行ったボイジャー1号が撮った地球の写真が出てきます。
撮影ポイントは、海王星軌道のさらに向こう側。距離にして60億kmの彼方です。
下の写真で、青い丸で囲まれているのが地球です。
(Universe Todayより)
本書の中で紹介されている、天文学者・作家のカール・セーガン*1は著書「Pale Blue Dot(邦題:惑星へ)」で残したこの文章、心にぐっと残るものがあります。少し長いですが、引用。
カール・セーガンはこれをPale Blue Dot(淡く青い点)と呼んだ。この写真にインスパイアされて書かれた彼の著書"Pale Blue Dot”に次のような一節がある。
もう一度、あの点を見て欲しい。あれだ。あれが我々の住みかだ。あれが我々だ。あの上で、あなたが愛する全ての人、あなたが知る全ての人、あなたが聞いたことのある全ての人、歴史上のあらゆる人間が、それぞれの人生を生きた。人類の喜びと苦しみの積み重ね、何千もの自信あふれる宗教やイデオロギーや経済ドクトリン、すべての狩猟採集民、すべてのヒーローと臆病者、すべての文明の創造者と破壊者、すべての王と農民、すべての恋する若者、すべての母と父、希望に満ちた子供、発明者と冒険者、すべてのモラルの説教師、すべての腐敗した政治家、すべての「スーパースター」、全ての「最高指導者」、人類の歴史上すべての聖者と罪人は、この太陽光線にぶら下がった小さなチリの上に生きた。
地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ。考えてほしい。このピクセルの一方の角の住人が、他方の角に住むほとんど同じ姿の住人に与えた終わりのない残酷さを。彼らはどれだけ頻繁に誤解しあったか。どれだけ熱心に殺しあったか。どれだけ苛烈に憎しみあったか。考えてほしい。幾人の将軍や皇帝が、栄光の勝利によってこの点のほんの一部の一時的な支配者になるために流れた血の川を。
我々の奢り、自身の重要性への思い込み、我々が宇宙で特別な地位を占めているという幻想。この淡い光の点はそれらに異議を唱える。我々の惑星は宇宙の深遠なる闇に浮かんだ孤独な芥だ。地球の目立たなさ、宇宙の広大さを思うと、人類が自らを危機に陥れても他から救いの手が差し伸べられるとは思えない。
地球は現在知る限り命を宿す唯一の星だ。少なくとも近い将来に、我々の種族が移民できる場所は他のどこにもない。訪れることはできるだろう。移住はまだだ。好もうと好むまいと、いまのところ、我々は地球に依存せねばならない。
天文学は我々を謙虚にさせ、自らが何者かを教えてくれる経験である。おそらく、このはるか彼方から撮られた小さな地球の写真ほど、人間の自惚れ、愚かさを端的に表すものはないだろう。それはまた、人類がお互いに優しくし、この淡く青い点、我々にとって唯一の故郷を守り愛する責任を強調するものだと私は思う。
(Kindle位置:2,194)
宇宙は人を夢中にさせ、突き動かすとともに、謙虚に、優しくする。
小野さんや、その著作に出てくる登場人物が漏れなく魅力的に見えるのは、みな宇宙という壮大なものに挑む挑戦者でありながら、人や地球の意義を問い続ける哲学者だからなんだと感じました。
素敵な、とても素敵な本でした。
*1:『ホーキング、宇宙を語る』の序文を書いている人
記録#30 『遅刻してくれてありがとう(下)』母なる自然に学ぶ。
前回の上巻記録に続き。
下巻は、政治とコミュニティのお話です。
混迷を極める社会の中で、私たちはもっと地球や自然から学ぶべきだ、というのが著者の主張です。
まず自然は、学ぶことをやめない。
母なる自然は生涯学習者だ。BCGのビジネス・コンサルタント、マーティン・リーブズが私に説明してくれたように、母なる自然は、環境変化を探知するシステムとしてフィードバック・ループを使い、最大のレジリエンスと推進力でその変化に対応している植物や動物を見極めて、次世代の植物や動物にとってもっとも望ましい特質(すなわち遺伝子)を普及させている。
(Kindle位置:1,356)
自然は、動き続けることで動的な安定を追求する。停滞・性的な安定は衰退だと理解している。
安定がダイナミズムの果てしない行動によってもたらされることを、彼女は知っている。安定には停滞のような要素はないと、私たちにきっぱりというはずだ。安定して、均衡がとれているように見える自然システムは、けっして停滞してはいない。
(Kindle位置:1,447)
自然は、全てを救おうとはせず、新陳代謝を受け入れる。
母なる自然は、破綻もいいことだと考えている。生態系全体がうまくいくためには、個々の植物や動物の破綻が許されなければならない。彼女は自分のあやまち、弱さには容赦がない。種を作り、DNAを未来の世代に伝えるために適応できなかったものも容赦しない。そういったものを死なせれば、強いもののための資源とエネルギーが掘り起こされる。破綻に対して市場がやることを、母なる自然は山火事に対してやる。「成功の余地を生み出すために、自然は失敗した部分を切り捨てる」イギリスの銀行家で人類学者のエドワード・クロッドは、1897年の著書『 Pioneers of Evolution from Thales to Huxley(ターレスからハックスレーに至る進化論の開拓者たち)』で、そう述べている。「適応できないものは絶滅し、適応できるものだけが生き延びる」その灰から新しい生命が生まれる。
(Kindle位置:1,460)
この後もう少しすると、「母なる自然はアメリカとメキシコの間に壁を作る」みたいな言説がでてきてえっ?となりますが、↑のあたりまでは納得です。
上下巻を通じて、テクノロジー進化と人間感覚のバランスをどう取っていくのか?ということが通底する大きなテーマでした。下巻は、人間感覚を強化する上での政治や国家、コミュニティ、という話が中心です。
数々の進化と衰退を数十億年に渡って受け入れてきた地球という存在から、メタファーを通じて学ぶことはたくさんあるなと感じます。個人的には、テクノロジーについて扱った上巻が特におすすめです。
遅刻してくれて、ありがとう(下) 常識が通じない時代の生き方 遅刻してくれて、ありがとう 常識が通じない時代の生き方
- 作者: トーマス・フリードマン
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2018/04/24
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
記録#29 『遅刻してくれてありがとう(上)』自転車は漕ぐことで安定する、そんな世界。
原題 "Thank you for Being Late"
本の内容は、テクノロジーや地球環境がいかに高速で変わっていっているか、その中で私たちがいかに生活していくかに関する低減。
読み始めて最初数ページは「なんでこのタイトルなんだろう?内容とあっていないな」と思っていました。でもよくよく内容を噛みしめるとすっきり。
「誰かが予定に遅れでもしてくれない限り、ゆっくり考える時間が取れないほど、私たちは忙しない・加速した時代を生きている」
著者のトーマス・フリードマンはニューヨーク・タイムズ所属のライターで、全米300万部の大ヒットとなった「フラット化する世界」の著者でもあります。
そんな彼が、とある駐車場の係員との会話をきっかけにして日常の中にふと立ち止まり、自分の周りを見回して、↑の作品を書いてからの10年でいかに世界が大きく変わってしまったかについて思いを巡らせ書いた本が、この「遅刻してくれてありがとう」です。
2004年に私が、世界はフラットになったと宣言して走りまわっていたときには、Facebookはまだ存在していなかった。Twitterはまだ鳥のさえずりを意味する言葉だったし、 雲 は空に浮かんでいただけだった。4Gは駐車スペース、〝 願書(Application)〟は大学に提出する書類だった。ビジネス特化型SNSのLinkedinはほとんど知られておらず、たいがいの人間は刑務所のことだと思っていた。ビッグデータはラッパーにぴったりの名前で、Skypeは、ふつうの人が見ればタイプミスだった。これらのテクノロジーはすべて、私が『フラット化する世界』を書いたあとで開花した(Kindle位置:488)
加速する時代
なぜこんなに世界が忙しくなっているのか、私たちがそれに翻弄されているのか。
フリードマンが指摘するのは、
- テクノロジー、物理的なイノベーションの加速が止まらないこと。ムーアの法則に見られるように、その加速度は上がっている。マイクロプロセッサ、センサー、記憶装置、ソフトウェア、ネットワークすべての領域で。
- その結果市場に投入されるサービスが一気増大していること、かつ物理的な距離を超えることが容易になっていること。複利効果のために拡大はどんどん急に。
- テクノロジー・市場の加速により自然環境に与える変化・負荷も比例して増加していること。転換点(ティッピングポイント)が見えない中で、いつ急激な崩壊がきてもおかしくない。
ということ。
「これで生活が楽になる!」と期待されたテクノロジーが登場するものの、結局前より忙しくなったよね、ということが往々にして起こります。それは、市場経済というものの宿命で、しょうがないのかもしれません。*1
私たちの期待の程度と関係なく、テクノロジーも市場もどんどん進んでいく。そんな加速の時代に、私たちは生きています。
取り残される人と社会
テクノロジーの進化、地球規模での環境変容、市場のさらなるグローバル化、、
それらの受け手である人間や社会はこれに対応できているのでしょうか。否、というのがフリードマンの主張です。
その点は重要な事実を示していると、テラーは説明した。人間と社会はこれまでずっと、だいたいにおいて変化に着実に適応してきたが、テクノロジーの変化は急激に加速し、それらの変化をほとんどの人間が吸収できる平均的な速度を超えてしまった。もう大半の人間が、ついていけなくなった。
「それが文化的な不安の原因になっている」とテラーはいう。「それはまた、毎日のように登場する新テクノロジーのすべてから利益を最大限に引き出すことも妨げている。……内燃機関が発明されてから数十年のあいだに、つまり道路に大量生産の車があふれる前に、交通の法規や約束事は徐々に定まった。それらの法規や約束事は、いまも私たちにおおいに役立っているし、それからの100年間、高速道路などの発明に法律を適応させる時間はじゅうぶんにあった。しかし現在は、科学の進歩が、道路を使う私たちの方法に地殻変動のような大変化をもたらしている。議会や自治体は、血眼になって追いつこうとしている。ハイテク企業は、時代遅れで馬鹿げたルールに憤慨している。大衆は考えあぐねている。スマホの技術はウーバーを勃興させたが、ライドシェアリングをどう規制すればいいのかについて世間が判断を下す前に、自動運転車がそれらの規制を時代遅れにしてしまうかもしれない」(Kindle位置:638)
自動運転やCtoCマーケット、さらには仮想通貨のような世界を見ていると、法制度や国の規制がテクノロジーに追いついていないことは明らかです。
それらのようなオフィシャルな制度だけではなくて、私たち個人のレベルでも、テクノロジーの進化に追いついていない・いけない人が一定数でてきていると思います。それは、作り出す立場はもちろん、それらのテクノロジーを受容するということにおいても、です。
個人・社会として、↑の加速に対してどう対応していくか・いけるのか。
このままだと、社会として深い分断を生むか、社会全体がテクノロジー・環境に対して遅れを取ることになるでしょう。
社会にもテクノロジーを、個人には学習を
フリードマンは、そんな時代において、上述したような物理的なテクノロジーに加えて、社会の側での進化・社会的テクノロジーも必要だとしています。
あるインタビューでベインホッカーは、私たちの眼前の難問を簡潔に要約している。
〝物理的テクノロジー〟――石器、馬に 輓 かせる 犂、マイクロチップ――の進化と〝社会的テクノロジー〟――貨幣、法の支配、規制、ヘンリー・フォードの工場、国連――を区別するところから、論を起こしている。社会的テクノロジーは、私たちが協力によって利益を得るために組織をまとめる手法であり、ゼロサム・ゲームではありません。物理的テクノロジーと社会的テクノロジーは共進化します。物理的テクノロジーのイノベーションは、あらたな社会的テクノロジーを可能にします。たとえば、化石燃料テクノロジーは大量生産を可能にしました。スマホはシェアリング・エコノミーを可能にしました。その逆も成り立ちます。社会的テクノロジーは、あらたな物理的テクノロジーを可能にします。スティーブ・ジョブズはグローバルなサプライチェーンなしには、スマホを作れなかったでしょう。(Kindle位置:4,442)
さらには、各個人にとって、知識ではなく学習の重要性が更に高まると。
未来学者のマリーナ・ゴービスはいう。その世界では、大きな 格差 は「やる気の格差になるでしょう」。セルフ・モチベーション、気概、忍耐力のある人間は、無料もしくは低コストのオンライン・ツールで、一生ずっと創造し、協力し、学びつづける。宿題はやったのかと念を押す親がいなくなっても。(Kindle位置:5,467)
おわりに
この本の中で紹介されていたとあるサービスが、個人的にとても素敵だなと感じました。
お酒を飲みながら絵を描く教室を成人向けに提供している〈ペイント・ナイト〉だ。《ブルームバーグ・ビジネスウィーク》2015年7月1日号の記事によれば、〈ペイント・ナイト〉は、「趣味を持ちたがっている弁護士、教師、テクノロジー関係者を中心とする客に、退社後のパーティを用意している」。週に5夜、そこで教える美術教師は、人々の心をつなぐことで年間5万ドルを稼いでいる(Kindle位置:5,339)
マイアミにいらっしゃる方のブログを拝見したらとてもいい感じ...!! ぜひ行きたい。
Paint Nite (ペイントナイト)の絵画イベントに参加して感じたアメリカ人と日本人の違い
下巻はこれからですが、こちらも楽しみにしています:-)
遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方 遅刻してくれて、ありがとう 常識が通じない時代の生き方
- 作者: トーマス・フリードマン
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2018/04/24
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
記録#28 『これからは、生き方が働き方になっていく』内容はさておき。
Mistletoeでスタートアップ投資のディレクターを務める鈴木絵里子さんの初の著書。
Amazonでの本の紹介はこんな感じ。
楽しいのが一番だから、ワークライフバランスはもう考えない。好きなことを仕事にして、仲間やパートナーとコミュニティを作り、自分の多面性をさらけ出す。セクハラにもNOと言う。
ミレニアル女子の今と未来。
(「Book」データベースより)
現在を「時代の大きな転換期」と捉え、AIやロボティクスなどのテクノロジーを基盤にした社会変革が進む中で、自信・つながり・コミュニティ化の3つの要素を持って、未来に対してワクワクしながら行きていこう、といった趣旨でした。
個別には、
- 自分の好きなことを探ってそれを仕事に
- 過去の学びのUnlearnと柔軟な学び、PDCAの代わりとしてOODAの実践
- 土壇場では生き物として備わっている内なる声に従う
- 家族も一つのコミュニティ、↑の学びを家庭でも活かす
って感じでしょうか。
著者の鈴木さんは、ご自身でフェミニストを自称していらっしゃいます。文中でも、ご自身が男性上司とした辛かったコミュニケーションや男性社会で行きていくことの生きづらさについての記述がちょくちょく書かれています。
読みながら、ピーター・ティールが最近の米国政治について語った、下の言葉を思い出しました。
ティールはこうも言う。
「僕は、選挙が現状を改善してくれるとはあまり期待していません」
彼によれば、政事は多くの領域に介入しすぎている。ソフトドラッグを使うと捕まるのに、なぜ経営能力のない「無思慮」な金融機関を、自分たちの税金で救済しなければいけないのかわからない、というのだ。
「政治は人々をいきり立たせ、人どうしの結びつきを破壊し、人々のビジョンを二極化します。『われわれの世界』と『あいつらの世界』、『善人』と『悪人』という対立です」
(『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』 p217)
政治っぽい表現が苦手です。そんなに対立を煽ってなにかいいことがあるんだろうか、と思ったりします。
多様性や多面性を伝えようとする人やメディアがつかう「われわれ」と「あいつら」的な表現を見るたびに、わたしは少しずつがっかりして、かつその言説が社会に広がるのを見ると、 害悪であるとさえ思うわけです。
記録#27 『人生やらなくていいリスト』人生誰もが自然を生きるアーティスト。
ご自身のオウンドメディア・4dskやその他記事で、独自のライフスタイルを発信し続ける四角さん。
ソニー・ミュージックやワーナーミュージックで10年以上プロデューサーとして働き、いまはニュージーランドに居を移しライフデザイナーや教育家等としてご活躍されています。
私自身はこの本を通じて初めて知ったのですが、自由な行き方を追求していらっしゃる。
「人は誰もがアーティスト(表現者)」というメッセージを掲げ、すべての人間に眠るオリジナリティを再起動すべく活動し、オルタナティヴな生き方を提唱し続ける執筆家。
大量消費社会と中央集権制度から距離を置くべく、持続可能でインディペンデントな生き方を求め、ニュージーランドの原生林に囲まれた湖で、自給自足ベースの〝森の生活〟を営み、年の数ヶ月は世界中で〝移動生活〟を送る。
い、いいなぁ。。
自分の中にあるアーティスト性を見つめる
この本のメッセージも、まさにこの、人は誰もがアーティスト、という信念に基づき、自分の内面を活かすような生き方を、と伝える本でした。
周りの目や期待から自由になろう。
常識という小さな檻から飛び出そう。
基準がハッキリしない、無意味な人生の勝ち負けレースから脱出しよう。
もう、自分で自分を縛り付けるのはやめにしよう。
僕らが従うべきものはたったふたつ。自然の摂理と、自身の心の声だけだ。
(p10)
自身の心の奥にアクセスし、自分自身と向き合える「孤独な時間」、この時間を「アーティストタイム」と呼び、今でも大切にしている。
(p52)
スピリチュアルっぽい方で、↑みたいなことをおっしゃる方は一定数いらっしゃるんですが、四角さんは音楽業界で数々のヒットを生んできたプロデューサー業・マーケティングのプロフェッショナルでもあるので、バランスの取れた表現で溢れていて、すごくいいなぁと感じました。
- 会社の中では、特別なことではなく、当たり前のことを一生懸命にやること(四角さんにとっては、挨拶を続けること、感謝を伝えること)
- 全てを平均点でやるよりも、自分ができることを他の人ができない品質の高さででやり遂げること(四角さんにとっては、好きな音楽と釣りについて熱意を持って伝えること)
- いざというときには「これをやらなくても死なないよな」という心のバッファを持つこと(四角さんにとっては、やりたいことリストを作ってからTodoリストをひとつひとつ削除していくこと)
- 心をリフレッシュする逃げ場所を持つこと(四角さんにとっては、休日にフライフィッシングをしに湖にいくこと)
自分の中で、少し前に読んだ『さよなら未来』とつながる部分がたくさんあって、すっと心に落ちてきました。
自然を見習い、謙虚に生きる
自然の摂理に従って生きる、という四角さんの姿勢、見習いたいなと思いました。
いろんな物事を「私のおかげ」「誰かのせい」とするばかりの私たちに、自然は「そうじゃないよ」と語りかけてきます。
マーケティングは、フライフィッシングと同じ。
あらうる創意工夫と試行錯誤を重ねた末、魚が釣れたときには、自分の戦略が正しかったとか、魚や自然界に勝った、と勘違いしてしまうものだ。でも、実はそうではない。
野生の生き物は、ぬるま湯の文明社会に生きる僕らと違い、数千倍もの熾烈な生存競争を生き抜いてきた強者たち。そして、厳しい自然界は、美しくシンプルに循環していて、そこには一切の矛盾がない。いっぽう人間は、自然界では身一つで生きることもできない、弱い生き物。矛盾と不正だらけの社会に生きる、複雑でいびつな生き物だ。そもそも人間は、大自然や野生の動植物たちからは、相手にもしてもらえない存在。まず、そのことを自覚し、心に刻み込まないといけない。
だからこそ、狙って釣れるようなものではないし、釣れたときには自然と謙虚な気持ちになり、「運」と呼ばれる「なにか大きな存在」への感謝の念が湧いてくる。 (p243)
肩の力を抜きながら、周りに感謝して生きて行きたくなる、いい本でした。
記録#26 『自分の仕事をつくる』魂を込めたものづくり。
働き方研究家・西村佳哲さんによる、様々なものづくりのプロフェッショナルとの対話集。
豊かな生のための、豊かなプロダクト・サービスの大切さ。
そんなことを考えさせられる本でした。
やたらに広告頁の多い雑誌。10分程度の内容を1時間枠に水増ししたテレビ番組、などなど。様々な仕事が「こんなもんでいいでしょ」という、人を軽く扱ったメッセージを体現している。それらはかくしようのないものだし、デザインはそれを隠すために拓かれた技術でもない。p006
ある、そんなものに溢れてる。
人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そしてそれが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。
大人でも同じだ。人々が自分の仕事を通して、自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディブローを効かせ合うような悪循環が、長く重ねられている気がしてならない。p006
この本の中で、西村さんは、柳宗理さんのスタジオだったり、パロアルトのIDEOオフィス、ベンチュラのパタゴニアなんかを訪ねたりしています。とっても羨ましい。
どの作り手も、自身の製品に魂を込めて、世の中に問いを立てています。
ただ図面を引いて値札を付けて、ということではない、目的と手段のバランスが取れた、素敵な仕事を実践している方々ばかり。
折に触れて読み返したい本です。
最近はハンドメイドマーケットアプリをよく見ています。そこにある製品の多くは、作り手の想いに溢れていて、使っていてもとても心地が良い。
働き方だけではなく、生き方を振り返る意味でも、良い仕事というものを考えることの大切さを痛感しました。
個人として心の響いた一節はこれ。
仕事を通じて自分を証明する必要はない。むしろそれはしてはいけない。
自分はどこまで言っても自分。自分を証明するための仕事は、社会にとってはうるさいものになる。それはしちゃだめだよね、と。
いつまでも本棚に残るやつです、この子。
記録#25 『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』徹底して競争を避ける逆張り人生。
ピーター・ティール。
電子決済プラットフォーム・Paypalや、CIAなどを顧客とするデータ分析企業・Palantirの創業者であり、Facebookの最初期からの投資家であり、スタートアップ界隈のみんなが大好きな本「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」の著者でもあります。
この本は2017年9月にドイツで刊行された"Peter Thiel: Facebook, Paypal, Palantir - Wie Peter Thiel die Welt revolutioniert - Die Biografie"の邦訳。これまではバラバラとしたWebメディアやいろんなインタビューでは彼について色々明らかになってきましたが、1冊の本としてまとまったのは初めてかもしれません。
ポール・グレアムやベン・ホロウィッツと並んで、その物事の捉え方について常々関心を持ってきたので、発売後すぐに読んでみました。
根底にある、圧倒的な独自性、逆張りの姿勢
ピーター・ティールは、2016年の米大統領選挙でシリコンバレー全体を敵に回しながらドナルド・トランプ候補に巨額の献金をして話題になりました。トランプ大統領誕生後は彼のテクノロジー面でのアドバイザーを務め、この3月に行われた最近のインタビューでも対中貿易などの問題に取り組むトランプ政権への評価を口にしています。*1
大学では哲学を専攻していたという出自、「破壊的イノベーション」や「パラダイムシフト」等のバズワードの忌避、そして上記のような政治姿勢、全てにおいて徹底的な逆張りの姿勢を見せています。
その背景にあるティールの思想は何なのか、この本を通じて明らかにされています。
彼が深く信頼を寄せるのは、スタンフォード大学在籍時の恩師・フランス人哲学者のルネ・ジラール。模倣と競争をテーマとする研究を世に多く出しています。ジラールの主張によれば、人間の行動は「模倣」に基づいていて、他人が欲しがるものを自分も欲しがる傾向にある。よって模倣は競争を生み、競争はさらなる模倣を生む、と。
模倣こそ、僕らが同じ学校、同じ仕事、同じ市場をめぐって闘う理由なんです。経済学者たちは競争は利益を置き去りにするといいますが、これは非常に重要な指摘です。ジラールはさらに、競争者は自分の本来の目標を犠牲にして、ライバルを打ち負かすことだけに夢中になってしまう傾向があると言っています。競争が激しいのは、相手の価値が高いからではありません。人間は何の意味もないものを巡って必死に戦い、時間との戦いはさらに熾烈になるんです」p25
ティールは、自分の思想や行動が誰かの模倣になっていないか、それが競争という茨の道へとつながっていないかを常に自問自答し、他人に投資をするときにもそれを大きな基準の一つとしているのでしょう。(本書の中で、その姿勢がウォーレン・バフェットと比較されていたり)
WIRED元編集長の若林さんとの対談記事のタイトルもそのまんま。これも面白い記事。
シリコンバレーを離れるティール
大統領選あたりから、ティールに対するシリコンバレーからの風当たりは強まるばかり。そんな中で、彼は拠点をシリコンバレーからロサンゼルスやニューヨークに移そうとしています。
『ウォールストリート・ジャーナル』の記事によれば、いまのシリコンヴァレーは政治的に不寛容で極端に左傾しているのだという。反対意見はすべて排除されるような状況となっており、異なる視点を受け入れない文化は革新を妨げると考えたティールは移転を決意したのだと、記事には書かれている。 ティールはまた、シリコンヴァレーはワシントンから押し寄せようとしている規制の津波への備えができておらず、テクノロジーに新たな波を巻き起こすシリコンヴァレーの力は損なわれるだろうと警告するひとりでもある。
本書の中でも、スタンダード大学での雑誌出版(スタンフォード・レビュー)、Paypal、Palantirそれぞれの組織で、いかにティールが思想や得意分野が異なる人達とチームを築き、それを成長させてきたかについて書かれています。
プロダクト中心で、焦点を絞り込んだ上で即座に判断を下していく「アジャイル」な企業経営を続けてきたティールからすると、平準化されたエリートたちの閉鎖空間となったシリコンバレーでチームを作っていくことの魅力度はどんどん落ちているのかもしれません。
おわりに
↑の話の他にも、
のような話があって、最後の最後まで味わい尽くせる本でした。
小手先のスキル本よりも、異端の経営者、ピーター・ティールについて書いた本から学ぶことのほうが多いと思います。ぜひ。