ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#7『サピエンス全史』空想・妄想のちから

ビジネス書大賞2017の受賞作品。原著は2014年に出版され、ビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグもその都市に読んだ本の中で印象に残ったものとして紹介しています。上下巻のたっぷりボリュームで、簡単に手が出しにくいというお話も聞きます。

ビジネスモデル図解をSNSにあげていらっしゃる方が、今週この本に関する図解を挙げていらっしゃいました。内容をぱっと掴みたい方はぜひこちらを参照されるといいんじゃないかと思います。

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おすすめです。Kindleで読んだんですが、合計53箇所もハイライトしていました。
その内容を中心に、簡単にまとめておこうと思います。バラバラとしたメモです。

虚構をつくり、信じる力が人類成功の起源

北京原人ネアンデルタール人などと違って、わたしたちホモ・サピエンスはなぜ現代まで生き延びてきたんでしょうか。本書の中で、単純な身体能力で言うと、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスを大きく上回っていたそうです。

私たちは、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。だが、人類はまる200万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足りない生き物でしかなかった。たとえば100万年前に生きていた人類は、脳が大きく、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず、たえず捕食者を恐れて暮らし、大きな獲物を狩ることは稀で、主に植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた。(Kindle 位置266)

本書では、私たちがひ弱な体というハンデを抱えつつも、(ネアンデルタール人など他の人類を含めた)多くの動物を滅ぼしながら各地に広がっていけたのは、虚構を信じる力によるところが大きい、とされています。これが認知革命

伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。Kindle 位置266)

この認知革命が何に役立ったのか。一つは、集団の規模を大きく変えたことにあります。その最大値は150程度と言われており、この数を超えると集団としての統一性を維持することが困難になります。しかしわたしたちは、宗教や国家、貨幣などの虚構を通じて、数百万以上の人間を一つの組織として内包することに成功しました。

今日でさえ、人間の組織の規模には、150人というこの魔法の数字がおおよその限度として当てはまる。この限界値以下であれば、コミュニティや企業、社会的ネットワーク、軍の部隊は、互いに親密に知り合い、噂話をするという関係に主に基づいて、組織を維持できる。秩序を保つために、正式な位や肩書、法律書は必要ない。(Kindle 位置574)

この認知という能力がその他の動物と我々を区別する大きな差異だという主張は、読みはじめの私にとって大きなインパクトがありました。

1対1、いや10対10でも、私たちはきまりが悪いほどチンパンジーに似ている。重大な違いが見えてくるのは、150という個体数を超えたときで、1,000~2,000という個体数に達すると、その差には肝を潰す。もし何千頭ものチンパンジーを天安門広場ウォール街、ヴァチカン宮殿、国連本部に集めようとしたら、大混乱になる。それとは対照的に、サピエンスはそうした場所に何千という単位でしばしば集まる。サピエンスはいっしょになると、交易のネットワークや集団での祝典、政治的機関といった、単独ではけっして生み出しようのなかった、整然としたパターンを生み出す。私たちとチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。この接着剤こそが、私たちを万物の支配者に仕立てたのだ。Kindle 位置787)

狩りをやめ定住農業をすることで人間ひとりひとりは貧しくなった

人類が狩猟生活を送っていた時、食べるものは多様で、十分なカロリーを取れていました。しかし、定住し農業を行うことで食べるものの種類は偏り、生産性の限界から量もそれほど作れず、十分なエネルギー・栄養を取ることができなくなった、と。なぜそんな生活を人類は続けたのでしょうか?

それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が100人から110人へと増えたなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が10人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、バタンと閉じてしまったのだ。(Kindle 位置1,684)

 不可逆の歴史。一人ひとりが必ずしも幸せになれたとはいえない定住農業への移行は、人類に対してどんなインパクトがあったのでしょう。 

それでは、いったいぜんたい小麦は、その栄養不良の中国人少女を含めた農耕民に何を提供したのか? じつは、個々の人々には何も提供しなかった。だが、ホモ・サピエンスという種全体には、授けたものがあった。小麦を栽培すれば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ。

つまり、一人ひとりは幸せになれないけれども、主全体としては数の増大という意味で繁栄を迎えたことになります。なるほどー。

自分の無知を認識する姿勢が科学を発展させてきた 

人間の数の多寡が国力を決めていた時代が長く続いた中で、新たな要素が加わることになります。それが、科学・テクノロジーです。その原点にあるのは、自らが無知であるという認識と、その上で前提となる共通の神話を作り上げ広めていく力。

科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。両者は、「外の世界がどうなっているか見当もつかない」と口を揃えて言った。両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。(Kindle 位置5,360)

消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。どちらも集合的想像の中にしか存在しないが、その力は絶大だ。何千万ものドイツ人がドイツ国民の存在を信じ、ドイツ国民の象徴を目にして高揚し、ドイツの国民神話を繰り返し語り、ドイツ国民のために資産や時間、労力を惜しまず提供しているかぎり、ドイツは今後も、世界屈指の強国であり続けるだろう。(Kindle 位置6,864)

結局私たちはどこに到達し、これからどこに向かっていくのか

私たちは以前より幸せになっただろうか?

過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか?

無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか?

さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?

無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?

もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?(Kindle 位置7,122)

これはまた、難しい問いですね。読み終えてからいろいろ考えてみたり、整理したりしても、なかなか自分なりの答えは出ません。

いい気づきと問いかけをもらった本でした。

 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 

記録#6『観察の練習』みのまわりの小さな違和感に気付こう

年明けにSNSでバズっていたこの記事を改めて読みました。

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観察=「無意識の意識化」、なるほどなぁと思いました。

観察のプロたるデザイナーさんたちは、日々どんな視点を持って物事を見ているんだろう?と思い、同じタイミングで紹介されていた下記の本を読みました。

観察の練習

観察の練習

 

私たちの身の回りでは日々、さまざまな「おや?」と違和感を抱くような出来事が起こっています。それは、誰かの手による創意工夫であったり、自然環境が作り上げた現象であったり、自分の目が勘違いしたものであったりするのですが、あまりにも膨大なため、普段は無意識に見過ごしてしまっています。しかし、このような「日常の中の小さな違和感」にこそ、私たちを驚かせたりワクワクさせたりするアイデアを生むためのヒントが隠れているのです。(p2)

本の内容をさっと紹介

著者の方がとった写真と、そこで観察した内容がセットで紹介されています。

  • 道路上の水の流れから凹凸を感じる
  • シャッターがしまった喫茶店の天蓋から入口の大きさの錯覚を感じる
  • 高床式のゴミ収集所から雪国の生活を感じる
  • 自分が入店したときの店員のあいさつから店員の間のコミュニケーションを読み解く
  • 色鉛筆の削れた持ちて部分から製造工程を考える ...等

この人、すごい。。。と圧倒されます。読み終えてから数日立ちますが、日常の中でふと立ち止まって、自分が今見ているもの、聞いているものを観察するようになりました。

特に、本の中で紹介されている

いま聞こえている音をすべて書き出す

というワークは、無意識の意識化を実践するとても良いものだと感じました。やってみます。

最後に

観察という行為が、よく禅の世界で言われる、「”今”に集中する」ということに通ずるものがあると思いました。

練習を積み重ねて、もっと良い観察をしていけるようになりたいです。

記録#5『プログラマの数学 第2版』ゼロの意味は?

昨年はPHPでのWebサービス開発や、Pythonを使ったデータ解析にチャレンジしました。その中で扱われるのは"論理"だったり"統計" "ランダム化"だったりして、改めて数学への関心が高まっています。

今月第2版がでた『プログラマの数学』買ってみました。

著者は『数学ガール』を書いた結城浩さんです。

プログラマの数学第2版

プログラマの数学第2版

 

 ゼロの物語:「ない」ものが「ある」ことの意義

第1章のテーマが、ゼロについて。その中で出てくるエピソード。

これは、今でも覚えている小学1年生の思い出です。

「それではノートを開いて、『じゅうに』と書いてください」

と先生は言いました。わたしは新しいノートを開き、きちんと削った鉛筆を握って、大きな数字でこう書きました。

102

なるほど、たしかに。そう書きたくなる気持ちもわかります。IとかVで数字を表すローマ数字で『じゅうに』を書こうとするとXIIで、X (10) とII (2)を並べて書くよなーと。

人間が日常生活で使ってる10進法、コンピュータが使っている2進法・8進法・16進法は『位取り記法』というジャンルに入ります。(ローマ数字は位取り記法ではない)この位取り記法では、0は非常に重要な意味合いを持ちます。

  • 場所を確保する:10の位の数字がなくても空欄を書かなくて良くなる
  • ルールをシンプルにする:10^0 = 1と定義することで、全ての位を10^nで示せることになる

たしかにたしかに。もっと具体的にイメージするために提示されている、『日常のなかのゼロ』という項目では、

  • 予定がないという予定:時間を「空き」として認識することで探す対象になる
  • 薬効がない薬:3日飲んで1日休む薬があったとすると、毎日薬を飲むが4日目の薬をダミーのものにしておくほうが習慣化しやすいのでは

などの例が示されています。日常のなかのゼロ、っていう考え方はとても素敵な観察だと思いました。

剰余:周期性・規則性を見つけ出す

第3章は、剰余(割ったときの余り)について。小学校低学年で割り算と余りについて習って以来、あまり意識して使ったことのなかったテーマですが、本の中で紹介されていた例はとても面白かったです。

  • Q. 今日が月曜日として、1億日後の曜日は?
  • A. 1周間は7日。100,000,000(1億)÷7 = 14,285,714 余り 2になる。つまり14,285×7= 99,999,998日後は同じ月曜日。その2日後である1億日後は水曜日のはず。

確かに。。。簡単で、シンプルで、美しいなぁと思いました。

他にも、恋人探しだったり畳敷きだったり、一筆書きなどなど問題を、"剰余"という視点から捉えなおしていきます。この章は全体の中でも特に面白かったです!

再帰:自分で自身を定義する

プログラムを書いていると、for文なんかで

  • x = x + 1

みたいな文を書くことが往々にしてあるんですが、自分自身を定義するために自身を使うこと、これが再帰です。

個人的になるほどなぁと思ったのは、この前の数学的帰納法の章と合わせての説明なんですが、

実は、再帰(recursion)と帰納(induction)はどちらも「大きな問題を、同じ形をした小さな問題に帰着させる」という点では本質的に同じです。 

再帰的なプログラムを書くためには、その構造を見抜くことが必要になります。観察の練習をたくさんして、構造をどんどん見いだせる人になりたいです。

指数的な爆発:困難な問題との戦い

第8章は指数・対数について。

最初に出てくる、「10個独立したチェックボックスが必要なWebサービスを作らなきゃいけないとして、その開発をする上でのテストは2^10(1,024)回やらなきゃだめになります」っていう一文。気をつけます。。。

最後に

自分の子供が中学生・高校生とかになったらぜひ読ませたい一冊でした。数学は一つの言葉です。この言葉を知っておくと、世界の捉え方がもっと豊かになるなと思います。

 

記録#4『世界からバナナがなくなる前に』効率を追って脆弱さが生まれる

ここ最近、食や農業の問題はそこかしこで取り上げられています。

途上国を中心とした飢餓、都市における食料廃棄、不衛生な環境で抗生物質まみれで育てられる牛や鶏に起因する食肉の安全性、遺伝子組み換え作物の登場...

どれも大きな問題です。そんな中で、この本でまた一つ大きなテーマが自分の中で増えました。

"農作物の品種の多様性喪失"です。

 

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

 

世界中で摂取されているカロリーの80%は、たった12種類の植物から得られている」そんな驚きのデータからこの本は始まります。

有史以来、ヒトは野生の植物を採取し、それを栽培する術を開発し、農業として育ててきました。その方法は地域ごとに異なり、それに合わせて品種も各地域で独自の発展を遂げてきました。しかし産業革命以降、農業の工業化が進み、育てる品種を絞り込んで、肥料や殺虫剤を使いながら最大効率で栽培する手法が主流になります。

表題のバナナやゴム、カカオ、コーヒー、ジャガイモ、キャッサバ...

あらゆる品種で限られた品種を効率的に育てる農業が中心となり、それに合わせて、真菌やウイルス、害虫等による被害がでると広範囲で一気に広がる事になります。そういう意味で、現代の農業は短期的な効率性・生産性が最大化されている一方で、一度被害が出たときのインパクトが非常に大きくなるという意味での脆弱性を抱えています

この本の中にも、このような脆弱性が露見した悲しいストーリーが色々出てきます。

  • パナマ病でなくなってしまった甘くて美味しいバナナの品種・グロスミッチェル
  • アフリカのキャッサバ栽培を救うために、南米のアマゾンに"天敵"を探しに行くスイス生まれのヒッピー研究者
  • 天然ゴムを安定的に確保しようとブラジルで天然ゴムプランテーションの運営に乗り出したヘンリー・フォードとその失敗
  • ナチスが迫る1940年代のロシア・レニングラードで、採集した植物の種子を必死に守りながら餓死していった研究者たち
  • 政敵を追い落とすために作物をダメにする菌をばらまく農業テロを行い何百万人もの職を失わせた農業団体関係者

 生産性向上が叫ばれるこの世の中で、品種絞込みの流れが止まることはないでしょう。そんな中で、世界中が飛行機でつながりヒトも自由に移動する中で、菌やウイルスが運ばれるスピードも上がっていきます。

それによって、いろんな作物が壊滅的なダメージを受ける頻度は高まり、より深い社会問題として認識される日が早晩来る気がします。一部ではもう来ているのかもしれませんが。

日々仕事をしていると工学系・情報系のテクノロジーのお話にたくさん触れますが、ヒトの生き死にに関わる食のテクノロジーについても、もっと突っ込んでいこうと感じました。

これまでは研究者や農業メーカーの努力によって、上のような様々な問題が解決されてきました。これからも同じようになんとかなるのでしょうか。。そんな問題意識が頭のなかに植え付けられる、深くて良い本でした。

記録#3『アルゴリズム思考術』コンピュータに"考え方"を学ぶ

はじめに

新卒で入った会社では入社するまえに課題図書が配られ、コンサルタントとして働く上で必要な財務会計や英語に関する本の他に、『イシューからはじめよ』や『論点思考』『仮説思考』といった、仕事をする上で役立つ考え方についてのものもありました。

色んな分野でこの「仕事をするときの心構え・考え方」に関する本があると思いますが、それはどれも「その分野で実績を上げた/有名な人が、後進たちに向けて書く」というものです。

  • 「私はこうやったらうまくいった(から、他の人もやるべき)」
  • 「私にはこんな反省がある(皆さんは同じ過ちを繰り返さないように)」

上で紹介した『イシューからはじめよ』等、先人の知恵を濃縮して伝えてくれるこのような書籍はものすごく参考になります。それは、同じ人間である以上、同じような失敗をする可能性があり、同じような成功の経路を辿れる可能性があるからです。 

コンピュータの思考法を学ぶ

 しかし、私たちが学ぶ対象は「人」からだけでよいのでしょうか?もっと良く生きるために、学びの対象を広げることはできないのでしょうか?

 問題解決にもっぱら強い先生。そう、「コンピュータ」です。

 将棋や囲碁、チェスなんかの分野では、人間が到達できないほどの高みまで登ってしまったコンピュータ。彼らは物事をどう考えているのか(アルゴリズム*1、といいます)、それを知ることができるのが下の本です。

アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

 

コンピュータの思考法を学ぶ

原題は"Algorithm to live by"、生きていくためのアルゴリズム

以下、"はじめに"から抜粋。

誰もが直面する問題もある。われわれの生が有限な空間と時間の中で営まれているという事実から、直接的に生じる問題だ。

一日のあいだに、あるいは10年のあいだに、何をすべきで何をしないでおくべきか。

どの程度の無秩序なら受け入れるべきで、どの程度の秩序なら過剰なのか。
最も充実した人生を送るには、未知の経験とお気に入りの経験とのあいだでどんな バランスをとるべきか。
Kindle版 位置: 121) 

 

仕事にしろ日々の生活にしろ、上のような決断に日々私たちはさらされています。

  • 目の前の仕事を今片付けるべき?それとも明日で良い?
  • 同僚と飲みに行く?家族のいる家にすぐ帰る?
  • キャリアはこれでいい?転職すべき?
  • 社内ルールとして統一すべき?それとも都度対応したほうがいい?
  • ランチは前行って美味しかったところに行くべき?新規を開拓?

この決断をもっと良いものにするために、コンピュータから学べることはないでしょうか?

 これらは人間だけの問題と思われるかもしれないが、じつはそうではない。 半世紀以上前から、コンピューター科学者はこうした日常のジレンマに相当する問題に取り組み、多くを解決してきた。

  • 負荷を最小限にして最短の時間でユーザーの要求すべてに応じるには、プロセッサーの「注意」 をどう配分すべきか。
  • 異なるタスクの切り替えはどんなタイミングで行なうべきで、 そもそもタスクはいくつ実行すべきか。
  • 限られたメモリー資源を活用するには、どんな方法がベストか。
  • データをさらに集めるべきか、それとも既存のデータだけを使って作業すべきか。
今日こそ行動すべきかと一日レベルでタイミングを見極めるのさえ人間には難しいが、われわれを取り巻くコンピューターはミリ秒レベルでやすやすと判断を下している。コンピューターが判断を下す際の方法から、われわれが学べることはたくさんある。Kindle版 位置: 125)

 

素晴らしい。 ぜひ参考にしたい。扱っているテーマは、

  • 最適停止問題:どのタイミングで決断を下すか
  • 探索と活用:いつまであたらしい選択肢を探し続けるのか
  • ソート・並び替え:どれくらいの手間をかけて、何の順序で並べるか
  • キャッシュ:どの記憶を頭に残し、忘れるか
  • スケジューリング:何から手をつけるべきか。割り込みを許すか
  • ベイズの法則:手元の情報をもとに、未来をどう予測するか
  • 過適応:複雑さ・ノイズにどのくらい対応するか
  • 制約緩和:解けない問題を解けるようにするにはどうするか
  • ランダム性:全体ではなく一部を取り上げることで済ませられないか
  • ネットワーク:どのような頻度と量のコミュニケーションをとるか
  • ゲーム理論:他人に期待通りの動きをしてもらうためにどうするか

生きていくための考え方、という視点で言うと、特に前半の「最適停止問題」「探索と活用」「ソート」あたりはとても参考になると思います。

"やめどき"を考えよ

われわれは、合理的な意思決定とはすべての選択肢を徹底的に調べ上げて入念に比較したうえで最良の選択肢を選ぶことだと信じ込んでいる。

しかし実際には、時計(または心臓)が音を立てて動いているとき、意思決定(あるいは思考全般)のさまざまな側面のなかで、やめるタイミングほど重要なものはほとんどない。Kindle版 位置: 753)

若いときには探索を、年を取ったら活用を

決定を下すときにいつもそれが最後の決定であるかのように考えるなら、確かに活用だけが意味をなす。

しかし一生のあいだにはたくさんの決定を下すはずだ。それらの決定に関して、とりわけ人生の序盤には、探索 ──最良のものよりも新しいもの、安全なものよりおもしろいもの、熟慮されたものよりもランダム なもの── を重視するほうがじつは合理的ではないか。Kindle版 位置: 1,408)

合理性をどう考えるか 

人はほぼ絶え間なく、コンピューター科学で困難なケースと見なされる状況に向きあっている。

このようなときに有効なアルゴリズムがあれば、推測を行ない、より単純な解決策を優先し、エラーのコストと遅延のコストのトレードオフを行ない、賭けに出ることができる。

これらは合理的なやり方が使えないときの妥協策ではない。まさに合理的なやり方なのだ。(Kindle版 位置: 6,680)

おわりに

この本の中で紹介されている問題、アルゴリズムによる解決方法は、これまでコンピュータサイエンティストが全力で取り組んできたものです。その意味では、アルゴリズムから学ぶことも、最初に紹介したような人から学ぶ構造と同じでしょう。

ただし、問題解決について学びたいのであれば、中途半端なプロフェッショナルのスキル本を読むよりも、コンピュータがどう考えているかから学ぶほうがよっぽど良いと思います。コンピュータは問題解決のプロフェッショナルです。その中に組み込まれたアルゴリズムには、何千何万という優れたコンピュータサイエンティストの叡智が詰まっているはずですから。 

*1:数学、コンピューティング、言語学、あるいは関連する分野において、問題を解くための手順を定式化した形で表現したものを言う。Wikipediaより)

記録#2『それでも人生にイエスと言う(V・E・フランクル)』ナチス強制収容所からの帰還。

 ヴィクトル・E・フランクルの「それでも人生にイエスという」を年末年始に読みました。

 オーストリア精神科医で、第二次世界大戦時には強制収容所に送られそこで家族の多くを失いました。戦後は精神療法医として活動しつつ、"生きること"に関して多く発信をしました。『夜と霧』が有名で、アメリカ図書館協議会によると「歴史上これまで最も多く読まれた10冊の書物のうちの一つ」とされています。

 

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

 

 この本は、ナチス強制収容所から開放された翌年にウィーン市民大学で行った3講演の記録です。1本目は「生きる意味と価値」、2本目は 「病を超えて」、3本目は「人生にイエスと言う」と訳されています。

 とても素敵な本です。ぜひ皆さん読んで下さい。

いつも誰にでも役立つアドバイスなんてない

それはたとえば、チェスの世界チャンピオンにインタビューして、「ところで、先生、どういう手が一番いい手だとお考えでしょうか」と尋ねるようなレポーターの質問が、とんちんかんなのと同じです。そもそも、全く特定の、具体的な勝負の局面、具体的な駒の配置を離れて、特定のいい手、そればかりか一番いい唯一の手というものがありうるでしょうか。(pp.30)

 世の中にある、「こうすればすべてうまくいく!」みたいなお話って、ほんまかいなと。「幸せ」をキーワードにAmazon検索すると、ダイエットや筋トレ、ヨガ、占い、ペン字にいたるまで、「これをやると幸せになれますよ」って本が溢れています。

 どんな人、どんなときにも無敵の一手なんて存在しない。その場その場での最善手があるのみです。

 ちなみに将棋の羽生善治さんは著書「上達するヒント」で、形成を判断する要素として、

  • 駒の損得:自分が適切な武器・ツールを持っているのか、失っていないか
  • 手番:相手の先手をとれているのか・機先を制せているか
  • 玉の堅さ:守りの体制は十分か、急所はないか
  • 駒の効率:自分の武器を活かせているか、不活の駒がないか

を挙げています。何を優先するのか、何は犠牲にしてもよいのか、それを踏まえて次の一手が決まります。

上達するヒント (最強将棋レクチャーブックス(3))

上達するヒント (最強将棋レクチャーブックス(3))

 

スポーツというまさに人間らしい活動

困難に対してどのような態度を取るかということのうちに、その人の本来のものが現れ、また、意味のある人生が実現されるのです。私たちは、スポーツマン精神という本当に人間らしい精神も忘れてはなりません。スポーツ選手がすることといえば、困難によって成長するために困難を作り出すことにほかならないではありませんか。(pp.38)  

今年はオリンピックもワールドカップもあります。盛り上がりましょう!

創造は誰にでも可能

一流のスープは二流の芸術作品より創造的である(pp.189)

 A.マズローの言葉らしいですね。

 学校にいるときは美術や音楽の成績が悪くて、創造的な活動と全く縁のなかった私ですが、今年はなにか良いものを創れればと思います。

問わない、応える。

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問を提起しているからです。私達は問われている存在なのです。(pp.27) 

 V・E・フランクルのいちばん有名な思想と言ってもいいと思います。我々が人生の意味を問うのではなく、人生が我々に意味を問いかけてくれるんだと。

 それがなぜなのか、ぜひ本を読んでみてください。

 

 イエスから始める、そんな2018年にしたいと思います。

 

 

記録#1『自動人形の城(川添愛)』コンピュータとの対話は人を優しくする。

 年末に読みたかった本のうちの一冊、川添愛さんの『自動人形の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』を読みました。その読後感想です。 

 あらすじ

勉強ぎらいでわがままな11歳の王子.彼の浅はかな言動がきっかけで,邪悪な魔術師により城中の人間が人形に置き換えられてしまった.その絶望的な状況に王子はどう立ち向かうのか? そして,城の人たちは無事帰還することができるのか? 「人工知能」と「人間の言葉」をテーマとして,『白と黒のとびら』『精霊の箱』の著者が創作する新たな世界.
東京大学出版会Web

 過去の記事でも紹介した、「働きたくないイタチと言葉がわかるロボット」に引き続き。前作、言語とは何か?コンピュータにとっての言葉とは何か?について、物語でわかりやすく伝えてくれる素晴らしい本でした。 

nozomitanaka.hatenablog.com

もう少し詳しく

 今回の本のテーマは、人工知能(AI)。

 舞台はハルヴァ王国のクリオ城。11歳のルーディメント王子は勉強が大嫌いで、新しくついた教育係のパウリーノのお陰でやっと文字が読めるようになったところ。おまけに身勝手でわがまま。

「ここ数日、王子様のお目覚めがよくなさそうなので、みな心配しているのでございますよ。何かご不満があるのなら、言ってくださいまし」

王子はますます不機嫌になる。言わないとわからないのか?何も言わなくても僕の気持ちを理解するのが、お前たちの仕事だろうに。それなのに、「分からないから言え」と逆位こちらに命令するとはなんと無礼なことだろうか。(pp.2)

 優秀な召使や衛兵で守られていたクリオ城。国王が留守の間に、魔法使いドニエルの口車に乗った王子の発言のせいで、パウリーノは黒猫に、他の人間はすべて自動人形に変えられてしまう。自動人形は、人の言葉を理解し、人と同じように動くことができ、なんでも言うことを聞かせることができる。ただ、それだけしかできません。

  • 「アン=マリー、この服の襟元をゆるめてくれ」→襟を破る→「なんでこんなことをするんだ!」→「私は自分の手で、こんなことをしました」
  • 「カッテリーナ。僕、お腹がすいたんだけど」→「私のお腹は、すいていませんわ」
  • 「門の中に誰も入れるな」→自分も入れなくなる

 王子は大混乱。誰も自分の思い通りに動いてくれない。甘やかされてきた王子は自分で服を着ることもできなければ、満足に食事をすることもできません。

 そんな中、王子は叔父のサザリア公がハルヴァ王国の乗っ取りを目論んでいることを知ります。サザリア公は、王国を支えるソラッツィ主教会の副大主教キーユ・オ・ホーニックをクリオ城に招き、王子の愚かさを彼に知らしめることで王位を継ぐのは自分だとアピールすることを考えます。

 副大主教の来城は7日後。城にいるのは自分と自動人形だけ。追い詰められた王子は、黒猫パウリーノの力を借りながら、少しずつ自動人形の扱い方を学んでいきます。

  • 会話なのか、命令なのかをはっきりさせたほうがうまく扱えること

「ナモーリオ。僕、その本を見たいんだけど」
「私もぜひ、見てみたいです」

おかしな返事。これは予想通りだ。「その本を見たい」と願望を言うだけでは、人形への命令にはならないのだ。王子は言い直してみる。

「ナモーリオ、その本を僕に渡してくれ」

するとナモーリオは目を光らせ、机から台帳を手に取り、王子に渡した。
(やっぱり、正しかった)
(pp.61)

  • 自動人形は、"目的"を理解できないこと

「さっき、あの人形が卵をあんなふうに割ったのは、こっちの目的がわからないからなんだ。普通、厨房 -つまり料理をする場所で、『卵を割ってくれ』って言われたら、料理に使うために割るんだな、と思うだろ?そしてそう思ったら、卵の中身を受け止める器をまず用意するものだし、できるだけ中身が壊れないように、そして殻が混ざらないように、十分に気をつけて割るもんだ」(pp.138)

  • 全部のときには全部、一つのときには一つ、一部のときにはどの部分かを伝えたほうがよいこと

そうだ、と王子は徐々に思い出す。ただ「矢」や「パン」とか言うと、人形は「一本の矢」「一個のパン」と考えてしまうのだ。だから、矢を全部拾ってほしいときには「全部」とはっきり言わないとだめだし、パンを二個取ってほしいときは「二個」と言わなければならない。
(pp.147-148)

  • 人間の心づもりによって定義がころころ変わるものには対応できないこと

パウリーノは思い出した。かなり昔、魔術の師匠のベルナルドが「人形には、『ごみ』という言葉が伝わらない」という古代の記述を見つけたことがあったのだ。(pp.164)

『ごみ』を例に上げると、我々が何らかのものを『要らないから捨てよう』と判断した時、それに『ごみ』という言葉を貼り付けたことになる。しかし、『やっぱり必要だ』と思い直したりすると、その物体は『ごみ』ではなくなる。つまり、『ごみ』という言葉を剥がしたことになる。(pp.165)

  • 自動人形に面白さや笑いを教えるのがとてもむずかしいこと

「『笑い』の難しいところは、人に笑いを引き起こすものが何なのか、よくわかっていない点です。怒りも悲しみも喜びも、その根源まで突き詰めれば、人がその生存を脅かすような危機を感知したり、逆にそういった危機から離れたりする事に関係のある感情です。つまり、生存の可能性に強く関係している。それに対して『笑い』は、一見したところ、生存可能性との関係が明確ではありません」(pp.209)

 王子はうまく自動人形を扱い、副大主教との食事会を乗り切り、サザリア公から城を守りきることができるのか。ハルヴァ王国の行方は。

読後雑感

 黒猫パウリーノの支援を受けながら成長していく王子に微笑みつつ、終盤はハラハラしながら読みました。お話として、とても面白いです! 最初の50ページくらいは「王子お前ほんまいいかげんにしろよ」と思いながらイライラします。

 王子が自動人形にいろいろ命令してみるもうまくいかないシーンでは、プログラミングでエラーが出たときのことが頭をよぎりました。笑

コンピュータと対話することは人を優しくする

 「自分が相手に対して何を期待しているか」を明らかにしないとコンピュータは動いてくれません。そしてそれを、コンピュータがわかる言葉で、彼らが従う形式で伝えなければいけません。適当に伝えて、「後はあなたが解釈してください」ではうまくいかないのです。

 2017年読書ログ記事でも紹介した「理解の秘密」という本の中で、

大事なのは、簡単にではなく明確にすること

という言葉が出てきます。 自分が何を望むのか、それを明確にして、明確に相手に伝えること。それが明確に実現されるような適切な手段で。

 コンピュータと対話することは、自分が求めることを明確にし、それを相手がわかる言語へと変換し続ける行為だと思います。それはつまり、自分という存在を相手の立場から見つめ続けることです。

期待通りに動かしたいなら機械やコンピュータは素晴らしい

 自動人形は疲れることがありません。一度指示をすればそれを守り続けます。王子のようにわがままを言うこともなければ、命令が長いからといって途中でそれを遮ることもありません。

 日常生活の中にもルンバやAIスピーカー等の"自動人形"がどんどん入ってくるのは素晴らしいことだなぁとあらためて感じます。

それでも、人の期待を超え続けてこそ

 「...ですが、こうは思われませんか?あなた様が下僕たちに望むのは、単にあなたの命令を忠実に実行することでしょうか?むしろ、その命令の裏にある『あなたにとって大切なこと』を彼らが理解し、それに配慮した上で、最も良い行動を選ぶことが望ましいのではないですか?そしてそのために必要なのは、彼らが『自分にとって大切なこと』を判断する力を使って、『あなたにとって大切なこと』を想像することではないでしょうか?」

ドニエルは黙って聞いている。ポーレットはさらに続ける。

「もちろん、他人同士のことですから、相手のことが常に正しく想像できるとはかぎりません。時には、間違うこともあるでしょう。しかし、私はそれでかまわないと考えています」

「間違ってもいいというのか?主人の意に沿わないことがあっても良い、と?」

「ええ。他人の意に沿えるかどうかには、賭けのような側面があります。でも、私はそれを恐れてはいません。むしろ、真の意味で他人の意に沿うためには、結果的に相手に逆らうことになってもかまわないと思えるほどの、強固な意志と創造性が必要であると考えています。つまり、私にとってそれは、一種の芸術なのです」(pp.239)

 

とても良い本でした。

週刊誌のAI特集なんか読まずに、これを読みましょう。