ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#146 『知の果てへの旅』知の果てには常に未知がある。

素数の音楽』以来大好きな著者、マーカス・デュ・ソートイの新作。原題のあまりの素敵さに手を伸ばしました。

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)

 

著者は数学を専門にする研究者でオクスフォードで教える大学教授でもあります。

素晴らしいなと感じるのが、彼の科学に対する誠実な姿勢。 

科学は何百年もの間に様々な飛躍的発展を成し遂げてきたが、それでも今なお人間に解かれるのを待っている深遠な謎がたくさん残っている。わたしたちが知らないこと。科学がもたらす大発見が増えれば増えるほど、それを上回るスピードで、自分たちにわかっていることの一覧が伸びていく。わからないことに気づいている事柄が、わかっている事柄を凌駕するのだ。

(pp.16)

こんな事がわかっています!私はすごい!とアピールする人がそこかしこにいるこの社会で、知れば知るほどわからないことも増えていく、という真実を素直に書ける筆者の姿勢に、尊敬を覚えます。

科学者として未知と向き合う

そんな中で、科学者に求められる姿勢を下記のようなことを書いています。

どの科学者にとっても、既知の事柄が織りなす安全な庭園に留まるのではなく、あえて未知の荒野に打って出ることこそが真の挑戦なのだ。そしてそれが、本書の核心となる課題でもある。

 経営の分野でも今、"両利き経営"というものにフォーカスがあたっていて、知の活用と知の探求、矛盾するそれらをいかに両立させるかが持続的な企業経営において重要だ、と言われています。

今目の前のことに甘んじるのではなく、あえて未知の部分に取り組んでいく姿勢、素晴らしいなと。

私たちは何を知り、何を知らないことを知ったか

本書の内容は多岐にわたっていて、最初はカオス理論、その後は無理数、更には量子力学、宇宙観測などの話が続いていきます。

どの分野でも、科学研究によって私たちは多くを知ったわけですが、合わせて未知であることに気付かされることも多々あり、更にはその知ったことでさえも偏った知識でしかないのでは、という指摘もあります。

バロウは、自分たちがこの宇宙について極めて偏った見方をしていることに気づくべきだと考えている。

天文学はたいてい、闇の中で光るものを観察することから始まる。遠くの銀河の構成などの、いわゆる発光体だ。宇宙のほんの5パーセントだけが、我々人間や光を発する星を構成しているのと同じ普通の物質で構成されている。発行する物質にはかなりの偏りがある。それらの物質は、宇宙の密度が極めて高い部分、ーー核反応を開始できて明るさが作り出せる場所ーーについて語るんだ」

(pp.293)

確かに。著者はしかし、未知の部分があることや、我々の知が偏っていることを認識した上でも、更に知ろうとすること、知の前線を広げることに価値を見出します。自分たちにわかるものが何なのかを知ろうとする私たちの旅が、人間としての想像力をかきたてるのだと。

知らないことを知ることから始まる旅
その旅は常に、自分たちが知らないものによって前へ前へと推し進められてきた。マクスウェルが高らかに謳ったように、「己の無知を完全に自覚することによってはじめて、科学における真の前進が可能となる」のだ。数学に関して言えばたしかにそのとおりで、まずは解が存在すると信じる必要がある。未知の領域に踏み込んだときに、その信条さえ保てれば解が見つかると信じること。知らないこと言うことを承知せずして、前進はない。
スティーヴン・ホーキングも、すべてがわかったと思いこむことの危険さをはっきりと認めている。「知識の最大の敵は無知ではなく、知っているという幻想である
(pp.521)

不確かさや未知の部分がたーーーーくさんあるということを認めて、受け入れること。謙虚であること。その上で、知の果てを広げる旅に挑戦すること。

研究者ではない自分ですが、少しでも知の地平線を広げられるように、日々前進し、旅をしていきたいと思います。 

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)