ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#130 『融けるデザイン』自己帰属感、身体の延長としてのハードウェア・情報・ソフトウェア

2015年に同僚から進められて以来、ずっとKindle積読のまま眠っていた本書。

『誰のためのデザイン?』と合わせてぜひ読むべきだよと改めて言われたり、大好きなtakram podcastもリファーされていたので、いよいよ手を伸ばしてみました。 

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

 

素晴らしい内容・考察でした。

インターネットが広がり、それとつながる端末も小型でポータブルになる中で、製品のデザインをどう考えるか。そもそも、デザインをどう捉えるのが正解なのか。

それを追求するために、渡邊さんは透明性、自己帰属感、というキーワードをセッティングします。

インターフェイスは人とモノ/技術の接点であり、利用者にとってはインターフェイスだけが知覚され、行為はそこで起きる。技術によって人が拡張されたとしても、拡張されたうえで新しいインターフェイスが現れ、そこでまた知覚行為が生まれる。インターフェイスがなくなることはない。境界の場所が変わるだけである。モノや道具の利用は自己帰属をもたらし、インターフェイスの場所が変わる。ペンを持てば、ペン先までが身体になり、ペン先と紙で知覚行為=インタラクションが発生する。車を運転すれば、車全体が身体となり、車と外界で知覚行為が発生する。

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 基本となるインターフェースは身体。しかし道具を用いることで、そしてその道具が透明性を持ち、自己帰属感をもたらすことで、インターフェース自体が拡張され、インタラクション・行為が生まれる。透明性が高いほど、自己帰属感が高いほど、インタラクションは自然に拡張されインターフェースの滑らかさ・ぬめり感が高まる。

なるほど、という整理でした。

自己帰属感とは「この身体はまさに自分のものである」という感覚であり、運動主体感とは「この身体の運動を引き起こしたのはまさに自分自身である」という感覚

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"メディアとしての身体"というお話は10年以上前からあったと思うんですが、渡邊さんは「メディアは収束し、インターフェースが広がる」というお話も。

デザインをインターフェイスとして考えるということはどういうことだろうか。それは、これまでの章で示してきた通り、「道具-身体システム」「環境-行為システム」というようにデザインをシステムとして捉えるということだ。こういった「デザイン」を探求するモチベーションは、人間がモノの前でどう振る舞うのかや、人間とモノが出会った時にそのシステムはさらにその外へどういう影響や現象をもたらすのかといった、人とモノの関係メカニズムを理解したいからにほかならない。そしてそれは広げてみれば、「人と世界のメカニズムを理解したい」「この世界はどういう設計になっているのかを理解したい」といった欲求から来るもの

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読み終えてまだ数日ですが、インターフェースという視点で世界を観察すると、すごく楽しいなと感じます。

キッチンでボトルからスポンジに洗剤を出すとき、お風呂でシャワーヘッドを調整するとき、手書きでスライドのイメージを書くとき、、、

様々なシーンで自分の身体というインターフェースが拡張されているなと。

もっともっと楽しく自然な世界に。10年経っても楽しく読めるであろう、おすすめの一冊。

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論