記録#61 『オイディプスの謎』
家近くの図書館でふらっと目についたこの本。
ギリシャ神話に関するお話で、ローマ・ギリシャ史はこれまでもちょこちょこ勉強していて、これも合わせて手にとってみました。
先に行ってしまうと、この1ヶ月で読んだ本の中でも刺激度トップクラスの本でした。
オイディプスって誰?
オイディプス、というよりエディプス、という名前のほうが広く知られている気がします。エディプス・コンプレックスという形で。
エディプス・コンプレックスとは、子どもが、異性の親に対して愛着を持ち、同性の親に対して敵意を抱いたり、罰せられる不安を抱いたりする無意識の葛藤のこと。
(エディプスコンプレックスとは?意味と時期は?フロイトとの関係は? - 知育ノート)
なんでオイディプスっていう人がこんなふうに取り上げられているかというと、彼は自身のお父さんを殺して、お母さんとの間に子どもを作ったことで知られている人。自分の子供であり、兄弟姉妹でもある、そんな複雑な関係を生んじゃった人なんですね。
そして、このオイディプスっていう人はもう一つ有名な逸話があって、スフィンクスの謎というものを解いたことです。スフィンクスの謎かけ、というのはあの有名な「朝には四本足、昼には二本足、夕方には三本足の生き物は何か?」というやつ。これに対してオイディプスは「それは人である」と答えて見事正解した(その解答に恐れ慄いたスフィンクスは自殺しちゃった)、というやつ。
ものすごく聡明な一面と、少し変わった性癖を持ち合わせた人。↑だけ読むとそんな感じなんですが、「いやいや史実を読み解くとそこには深い謎があるんだよ」ということをこの本のなかで提示してくれたのが、吉田先生です。
朝には四本足、昼には二本足、夕方には三本足の生き物は人、は正しい?
スフィンクスの謎掛けの答えが人である、ということのよくある解説は「人は小さいときにはハイハイをするから4本足、おとなになると2本足で立ち、老人になると杖をついて3本足になる」というもの。
吉田先生は「そんな解答を提示されたくらいで、スフィンクスは自殺するほど驚くかね?」という疑問から話を始めます。この分野の歴史の専門家である先生は、歴史書ではこの謎掛けについて「朝昼晩」という時間を特に指定しておらず、むしろ「同時に2本足でも、3本足でも、4本足でもある生き物は何か?」という問いかけになっているということを示します。それに対して、オイディプスは↑のような解釈を勝手にして、人である、と答えたと。
つまり、オイディプスは正解を答えているんだけど、(少なくともこの回答時点では)その理由を正確には捉えていなかったんじゃないか、ということになります。
オイディプスが背負った罪
ここで効いてくるのが、エディプス・コンプレックスという名付けの背景にもなった、父殺し・母との姦通という要素です。吉田先生の解説によると、オイディプスは生まれてすぐに捨て子にされ外国でそだれられたため実の父を知らず、旅先で乱暴にされたことに反発してたまたま手にかけてしまったのが父であった、つまりたまたま父殺しの罪を負ってしまうことになります。
そんな事はつゆ知らず、旅を続けたオイディプスは見事にスフィンクスの謎掛けをとき、その成果として実の母が治めていた国の国王となり、実の母と新たに結婚し、子どもを設けることになります。
つまり、オイディプスは自覚なしに父を殺し、母との間に子どもを作ったことになります。スフィンクスの謎かけを解いているときにも、もちろん本人はそんな罪の意識はありません。しかし、スフィンクスはそのことを知っています。
スフィンクスがいう足の数とは、
- 4本:実の母と子どもを作ることになんの罪悪感もない獣のこと
- 2本:まっとうな人間のこと
- 3本:(父殺しの罪の意識により目を潰され盲目となり)杖なしでは生きられなくなってしまった障害者
を意味していた、と。オイディプスが地震を指さしながら「答えは人だ」といったとき、たしかにそのオイディプス本人は↑でいうところの4本足、2本足、3本足のすべての要素を(将来の運命も含めて考えると)持っていて、それがスフィンクスをしてなんのためらいもなく自殺を選ばせるだけの衝撃を与えた、ということらしいのです。
オイディプスの運命
話が進むなかで全てを悟ったオイディプスは、目を金のピンで自ら潰し盲目の流浪者となり、国外へと追放されます。しかし、あらゆる環境においても自身の規律を重んじ、気高い姿勢を失わなかったオイディプスは、最終的にはギリシャの神々に受け入れられ新たな神となります。
このオイディプス王の物語を書いたソフォクレスはアテネの人。市民の1/4を死に追いやった疫病、敗北の近い戦争に直面し、それに向き合うメッセージをこのオイディプスにまつわるストーリーに込めます。
どんな時も気高く。我々にはギリシアの神々がついている。
オイディプス王やコロノスのオイディプスがいまも定期的にオペラとして上演されるのは、不遇の時代を乗り越えるメッセージがこの作品の中に込められているからでしょうね。
おわりに
この本は、
- アテネの絶頂期から苦難の時代に移っていくとき、そこにはどんなイベントがあったのか
- このオイディプスのストーリーはどのイベントのときに公開されたものなのか
- ソフォクレスはこのストーリーの中にどんな意味を込めたのか
という、ギリシア史ど真ん中のテーマを扱っています。
文化史とは、こういう内容を扱うものだと思いました。素晴らしい作品だと思います。
ぜひご一読のほど。