記録#258 『禅とジブリ』
感じたこと
- スタジオジブリのプロデューサーとして作品を支えてきた鈴木さんと、禅師たちとの対話。ジブリの各シーンには、禅が溢れている
- 禅語の本を買って、その言葉を筆ペンで書いていこうと決めました。自分なりに、うまさは考えず、自然に書きたいなぁと。ぺんてるさん、よろしくおねがいします。
- 毎日、眼前のことに対して真剣に向き合う。それに没入することこそ禅である。即今目前。
- 過去にも未来にもとらわれず。理想も捨てる。知識も捨てる。放下著。忘筌。
内容
- 鈴木さんが心を動かされた書、良寛、仙厓、白隠
- 白隠が書く書は、仏教という考え方の広告だった
- 禅において悟りは月にたとえられる。教えはそれを指し示す指でしか無い。広告も、指。
- 伝えると伝わるは違う。伝えるは一方通行、伝わるは送り手と受けての相互作用。
- 『もののけ姫』では「生きろ」、『風立ちぬ』では「生きねば」、白隠であれば『生きてみたら?』がキャッチコピー
- 放下著と即今目前の精神。過去と未来にとらわれてはいけない、どんどん捨て去る。赤ん坊のように。
- 理想と現実の差分から考えない。自然に、今と向き合うということを続ける。
- 白隠禅師坐禅和讃のなかに、当初即ち蓮華国此の身即ち仏なり、と。今まさにこの場所が最良の場所と捉え、幸せに人生を歩むこと。
- 『もののけ姫』に出てくる、「おまえにサンが救えるか」「わからぬ。だが、共に生きることはできる」というのは当に禅問答。達磨がいうところの不識ではないか
- 「死んだあの人にあの世で会えるか」という問いかけに科学は「会えない」と答える。宗教では「会えると信じて生きていくことはできる」と答える
- 坐禅は捨てる場。「何かをしたなら何かを得たい」そんな思いが強まる現代で、あえて捨てる場と時間を持つこと。
- 一日暮らし。どんな辛いこともその日一日だと思えば耐えられるし、どんな楽しいこともその日一日だと思えば浮かれることはない
- 「誰にも真似できない」というのは褒め言葉かどうか。「~に相似たり」というのは禅でよく出てくる表現。本当のオリジナルなど無いのではないか。わからないように真似ろ、というメッセージ。
- つくる、というのは誰かからバトンをもらうこと。自分の人生も、完成させようとするのではなくて、誰かにバトンを渡そうとすること。
- 常に今しか見ていない。とどまらないからこそ常に新鮮でいられる。
- 言葉では似て非なるものしか伝えられない。間を使う。間で伝える。
- 道楽というのは、仏道を歩むことを楽しむ、という仏教用語。頑張るときと解放されるときを区別しない
- 臨済録にある3つの言葉:大小便をすること。服を着ること。食事をスルこと。疲れたら寝ること。これこそ禅である、と。
- 屙屎送尿(あしそうにょう)
- 著衣喫飯(じゃくえきっぱん)
- 困じ来たれば即ち臥す
- 坐禅はこころの調合。トリカブトは少量ならば漢方になる。競争心や怒り、憎しみ、全てはその量次第。漢方薬は先生が調合してくれるが、感情を調合するのは自分。坐禅を通じて自己をみつめて、主体的に調合する。
- 日本語には、必ず対になる言葉がある。矛盾を受け入れる。
- これが自分だ、と思ったものを何度でも脱ぎ捨てる。そう、莊子はいった。
- アスリートが「無心で飛んだ」という境地を、ただ私たちは禅と名付けただけなんだ。
引用メモ
放下著(ほうげじゃく):放り出せ
即今目前(そっこんもくぜん):今を生きよ
脚下照顧(きゃっかしょうこ):自分の足元をみつめよ
喫茶去(きっさこ):まずは茶を一杯
熏習(くんじゅう):薫りで習う。観察して学ぶ
本来無一物(ほんらいむいちぶつ):なにも持っていない、すべての縁によって自分が成り立っている。
忘筌(ぼうせん):魚を得たら、その道具のことは忘れなさい
壺中日月長(こちゅうじつげつながし):時間を超越した悟りの境地にいたり、そこから戻ってきて人は成長する
柳緑花紅:見たもの、聞いたものをそのまま受け止めること。私たちも所詮、自然の一部でしかなくて、身構える必要などない。
ジブリで一時、やめたいという人が続出したことがあったんです。その理由がみんな同じなんですよ。「このままじゃ自分を見失いそう」って必ず言う。その時僕がいつも言ったのは「それは理想とする自分がいて、そこから今の自分を見ているからでしょ。そうじゃなくて今、目の前のことをちゃんとやりなさいよ」ってこと。
隻手音声(せきしゅおんじょう):両手を叩くと音がなるけど、片手の音はどんな音か
僕(鈴木さん)は、あの映画(魔女の宅急便)をキキとジジの対話の映画じゃないかと思っているんです。つまり、自分との対話。まだ自己を確立していないキキが自分になるプロセスを映画にしたんですね。(中略) 自分が自分になれば、もうジジは話さなくなる。
今の人たちが生きるのが苦しいと感じるのは、手渡されたバトンを持ったままゴールしようとするからだと思うんです。誰かからバトンを受け取って、誰かに渡すと思うと、自分で走らなければならない距離が著しく短くなりますよね。
中国に両行(りょうこう)という言葉があります。それは、対立するもの両方をそのまま生かしておくと、必ず何かが生まれてくる、という考え方なんです。一つの考え方で絶対化してしまわないで、対になるような考え方を常に持っておく。相矛盾する両方を生きていくしかない、そういう思想が日本人のベースにあると思うんです。