記録#197 『20歳の自分に受けさせたい文章講義』書くということそのものを問い直す。
先月からSentenceという"「書く」を学び合う"コミュニティに参加しています。
2018年頭から読書記録をブログで取り始めかつ最近はnoteも書くようにしていいます。改めて書くことって難しいなぁと感じる日々で、
少しステップバックして、文章を書くということそのものを学びたいなと思い、
ライター・古賀さんの本に手を伸ばしました。
書くことは、考えること
「考えていることが頭の中でまとまらなくて、書き出せない」
「書いている文章を見ると自分の気持や思いが上手く表現できていない気がする」
会社で企画書やメールを書くとき。
あるいは、プライベートでお礼状を書いたり手紙を書くとき。
↑のような感覚に陥ることがあると思います。私もよくあります。
そんなときにどう立ち向かうのか。
古賀さんは「書こうとするな。頭の中を翻訳せよ」といいます。
というのは頭の中を流れる思考は常に雑然としていて、その思考を
- 理解してあげて
- 再構築してあげて
- アウトプットしてあげる
という"翻訳"(人によっては"編集"といったり)を行ってあげることが必要だと。
このプロセスを経ることなく頭にある雑然としたものをそのまま紙に落としても、
出てくるものは読むに耐えないものにしかならない。
考えというのは既に頭の中にあるものではなく、
書くという目的を前提として、道中の理解や再構築を通じて「考える」ということが可能になるんだと。
書くことは人を確かにする。
とはよくいったもので。考えるために書く、それも素敵ですね。
書くことが考えることにつながるプロセスとして、
- 再構築:書きたい対象を自分なりに整理・統合してみる
- 再発見:整理・統合の過程で対象の新たな面を発見する
- 再認識:整理された全体像や新しい気づきに対する自分の考えに気づく
とまとめられていました。
これも確かに。理解というものの本質につながる流れだ。
ここまでの前提部分が、自分の中では大きなハイライトでした。
論理構成と目・耳に心地よいリズムが良い文体をつくる
文章の中で重要とされる要素の一つが"文体"です。
よい文体を生むためには、
- 正しい論理構成=接続詞をつかって文章同士が正しくつながっていること
- 視覚・聴覚的なリズム=句読点や改行のタイミングが整理され、
漢字と平仮名のバランスがとられ、
言葉の重複が整理されていること
その2つなんだと。わかりやすいですね。
リズムの確認方法として、音読が推奨されていました。
ちょっと気恥ずかしいですが、音読やってみます。
自分の文書を見返してみると
そのあとにも、
- 文章構成は序論・本論・結末で、映画のカメラワークを参考に寄りと引きを繰り返すこと
- 映画と同様、本体を読んでもらうためには予告編(序論)が大切。
インパクト優先型、Q&A型、寸止め型どれを使うか考える - 読者の視点を具体的に持つ。10年前の自分だったり、特定の"あの人"だったり。とにかく具体的に。多数派の罠にハマってぼやっとさせないように
のように、参考になるお話が続きます。
コンサルティングワークのように、読み手がスーパー具体的(クライアントの偉い人、○○さん)な文章は得意なんですよね、私。
一方で、noteのように不特定多数向けになると、とたんにイマイチな文章になってしまいます。
自分なりの課題は明確。
考えの再構築を更に進めること、リズムを取り戻すこと、そして「誰か一人」のために書くこと。
これからもやっていきます!