ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#142 『病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘(上)』まだ半分、圧倒的な筆致。

非医療領域の出身ですが、ここ数年がんに係るプロジェクトに多く携わっています。病理学だったり治療法だったりについてもちろん勉強はするんですが、がん治療の歴史までさかのぼって学んだことはなかったので、ここで改めて。

病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)

病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)

 

著者はインド出身の腫瘍内科医で、コロンビア大学メディカルセンターの指導医を務めています。大学院修了後にがん医療の専門研修を受ける中で、自身のために執筆を始めた結果、この大作が出来上がったと。

事実、2010年ニューヨーク・タイムズの"ベストブック "に選ばれ、2011年にはピューリッツァー賞なども受賞し、タイムズ紙が選ぶ"the All-Time Best Non-fiction"にも選出されています。がんについての治療の歴史が詰まったこの内容で選ばれるなんて、アメリカ人読者、知的リテラシー高すぎでは...

 そんな2年間のいかにも荒涼としたフェローシップの日々から抜け出たあと、よりスケールの大きながんの歴史についての疑問が一気にわきあがってきた。がんはいつから存在したのだろう?がんとの戦いのルーツは?(それと、これはよく患者さんに訊かれるのだが)私たちは今、がんとの「闘い」のどこにいるのだろう?どうやってここにたどり着いたのだろう?この闘いに終わりはあるのだろうか?そもそも勝てる闘いなのか?

 本書はこれらの疑問に答えようとする試みから生まれた。自分が対峙している、この刻一刻と姿を変える病に輪郭を与えようと、私はがんの歴史を徹底的に調べた。

(pp.26)

がん治療の歴史、ざっくり上巻部分

がん自体は決して新しい病ではなく、200万年前の化石からもがんの痕跡が見つかっているとのこと。がんとの闘いの歴史は古く、紀元前のエジプトのパピルスには腫瘍に関する記載が見られ、「治療法:なし」と記載されていたがその後外科的な切除術が行われるようになったこと。(しかし20世紀に入り、乳がん患者について幹部切除と寛解の間に優位な関係性がないというする論文が出たりもして。悲しい実態)

大きく変化が起きたのは、アメリカの国立がんセンター(NCI)で小児白血病に対する化学療法が発見されてから。その後単剤ではなく3剤、4剤、ときには7剤、8剤をかけ合わせた化学療法と、更には放射線治療もかけ合わせた治療が行われる中で、副作用の過酷さがどんどん問題になっていき、緩和ケア・ホスピスという流れが生まれてきたのが1970年代。さて、これから下巻です。

著者の告白

歴史の内容もさることながら、冒頭プロローグにある、がん専門研修を始めた著者の苦悩の部分がいちばん心に残っています。

 しかし、飲み込まれないようにするのは不可能だった。ネオンの投光照明に照らされた、ひんやりとしたコンクリートの箱のような病院の駐車場で、私は毎晩、途方もない矛盾に呆然としながら一日の終りを迎えた。カーラジオから流れるうつろな音を聞きながら、その日の出来事を頭の中で再現せずにはいられなかった。患者一人一人の経過に心を消耗させられ、自分のした決断が頭から離れなかった。

 どの抗がん剤も効かなかった66歳の薬剤師の肺がん患者に、化学療法をもう一クール続ける意味はあるだろうか? ホジキンリンパ腫の26歳の女性には、効果は確立されているが不妊になる危険性のある抗がん剤の併用療法を試すべきだろうか? それとも、効果はまだ確立されていないが不妊にならずに済む可能性の高い併用療法を選択すべきだろうか? スペイン語が母国語で、3人の子供を持つ大腸がんの女性を、新しい臨床試験に参加させてもいいのだろうか? 同意書に書かれている堅苦しくて不可解な言葉を、本人がほとんど読めないというのに?

(pp.25)

普段何気なく接している医療者たちですが、日々矛盾とジレンマと向き合って、消耗しながらも最善の決断をしていることが感じられました。

本当に頭が下がる思いです。

下巻も、興味深く読もうと思います。

 

病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)

病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)