記録#50 『教養としての「ローマ史」の読み方』ローマの成功・失敗から学ぼう。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』しかり、国家や大きい組織の行く末を考える上で多くの人の研究対象となってきたローマ史。
都市国家・ローマの成立から拡大、分裂、滅亡に至るまで、かなりのロングストーリー&話の入り組み方なので、そもそもどういった視点でこの歴史を捉えるべきなのか、ということについて難しい点がありました。
そんな中で、ローマ史を専門とする本村先生の新著が出ました。
私もこの本を通じて、
- アテネなどのギリシャ各都市が小さくとどまる中、なぜローマは帝国になったのか
- そもそもローマの共和制ってどんなふうに成り立っていたのか
- たっっっっっっくさんいるそれぞれの独裁官や皇帝はどのように評価されるべきなのか
- ローマ帝国衰退の理由をどのように捉えるべきなのか
などいろいろ勉強させていただきました。細かい人の名前などは全く覚えられないんですが、まさにタイトルにある"教養"として、自分なりにローマ帝国というものに対する感想を持てるくらいまでにはなれたと思います。本当に良著。
民主主義、というものの捉え方
本村先生の文体を読んでいると、現代ではある種の前提になっている「民主主義を基盤とした政治」というところに問いを投げかけているように感じました。
- 国としての正しい意思決定をするための手続きは民主主義で担保されるのか
- 民主主義政治において往々にして起こるポピュリズムとどう向き合えばよいのか
原始的な民主主義が採用されていたギリシア社会と異なり、古代ローマを支えていたのは元老院を中心とする共和制でした。
政務官や、最高権力者である執政官の任期を一年というごく短いものにしたのは、ローマの共和政が、まさに「反独裁のためのシステム」だったからだと言えます。
ローマ人は、なぜこれほどまでに独裁を嫌ったのでしょう。
それは、ローマ人が「自分たちは自由人である」という強い意識を持っていたからだと考えられます。つまり、一人の人間に支配されることを、自らの自由を侵すものとして嫌悪したのです。これは古代ローマを理解する上で押さえておくべきポイントです。
(Kindle位置:363)
ローマ帝国末期、時の皇帝・カラカラ帝は帝国全体に対してローマ市民権を付与することで人心の掌握および軍隊の拡充を図ります。しかし、この施策が奏功することはありませんでした。
彼にとっては、帝国内のすべての地域が平等でした。東も西も、北も南も関係ない。イタリア的なものを特にありがたがるということもない。そういう意味では、ローマは彼の治世において「空前の民主化、均等化」が生じたのです。これは、彼によってローマが、「ローマ人の帝国」から「ローマ帝国」になったということです。
こうした民主化、均等化は、現代の感覚で言うと素晴らしいことのように思いますが、問題がなかったわけではありません。なぜなら、広い帝国全土において均等な価値を認めたことによって、皇帝権力の基盤がどこにあるのかということがあやふやになってしまったからです。
その結果、「権力ではなく権威を以て治めよ」というローマの伝統は失われ、露骨な権力、つまり「軍事力」が皇帝権力の基盤になってしまいました。
(Kindle位置:2,811)
民主主義というものが広がった結果、国というものを捉える基盤がゆるいでしまい、結果的に軍事力や経済力という、ある種のわかり易い指標に基づいた国家運営しかできなくなってしまう。
いまの民主主義国家でも、同じことが起きているのではないでしょうか。
寛容な社会・非寛容な社会
古代ローマについて私が驚いたものは、その懐の深さ、寛容性です。
もともとローマ人は、寛容な人々でした。
勇敢に戦った敗戦将軍を受け入れ、雪辱のチャンスを与え、スキピオは差し出された美女を婚約者のもとに祝儀をつけて返しました。カエサルは自分を裏切ったブルトゥスを何度も許し、併合した属州の人々にローマのやり方を押しつけることもしませんでした。ローマ人に対してはもちろん、異民族に対してもローマ人は寛容な精神で対していたのです。
(Kindle位置:3,741)
負けた将軍に再チャレンジの機会を与える。打ち負かした相手からの貢物を返納する。自分を裏切った相手を赦す。異民族に独自の慣習を認める。
これだけの大国家ながら、ローマ帝国の根底に流れていたのは自由と寛容の精神でした。
しかしこれが、帝政末期になると変容していきます。
そうした「寛容なローマ人」が時間とともに変質し、非寛容になったことにこそ、ゲルマン人の大移動後に起きた、繰り返される暴動の本当の原因があるということです。
この視点は、現在のアメリカにおける不法移民への対処のあり方や、ヨーロッパ諸国の中東難民受け入れ問題など、この時期のローマが抱えていたのと類似した諸問題を考える上で、とても重要なものだと思います。
(Kindle位置:3,741)
社会が停滞し、多神教的な考え方が一神教的なものに移り変わり、だんだんに全体が非寛容になっていくことが、鶏と卵の話はあれど、帝国が崩壊していった原因のひとつなんでしょう。
おわりに
タイトルにある通り、ただローマ史を紹介するだけではなく、「現代の我々がローマ史をどう読み解くべきか」という視座を与えてくれる、素晴らしい本でした。
上に書いたような俯瞰した視点だけではなく、ネロ帝は本当に暴君だったのか、ディオクレティアヌス帝はキリスト教とどう向き合ったのか、カエサルとポンペイウスはリーダーシップの視点でどう異なったのか、人にまつわる色んなお話が出てきます。
内容濃密なので、じっくり腰を据えて読めるタイミングで1ページ目を開くのがおすすめです。
P.S.