ねずこん読書記録

小さな会社を経営しています。読んだ本について書き残していきますー

記録#48 『完全教祖マニュアル』これであなたも教祖になれる!

ちくま新書は宗教系の本もたくさん出されています。

そんな中でこの本、『完全教祖マニュアル』。他の本は、『神道儒教・仏教 ─江戸思想史のなかの三教』だったり『神道入門 ─民俗伝承学から日本文化を読む』だったりする中で、この尖ったタイトル。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

 

 中身、最高に面白いです。はじめに、からエンジン全開。

教祖にさえなれば人生バラ色です! あなたの運命は、いままさにこの瞬間に変わろうとしています! 本書を信じるのです!本書を信じなさい。本書を信じれば救われます ---。

(Kindle位置:)

内容としては、

  • 宗教というものを作り手の視点から見ていこう!
  • キリスト教イスラム教、仏教などの今はメジャーな宗教も新興宗教と呼ばれていた時代があるはず!
  • それらが以下にこれだけの大宗教へと成長していったかを見ながら、教祖になるためのTipsをまとめよう!

という感じ。文体はとても柔らかく面白いんですが、学びの深い本です。

何を信仰させる?教義の話

宗教の根幹、何を信じる人たちなのか、という教義について。

著者さんは、神様が実際にいるかどうかとか気にせず、いたとしたら人をハッピーにできるかで考えればいいじゃん、としています。それは実際にハッピーにする全知全能の神、という視点もあれば

 宗教で大切なことは、それが正しいかどうかではなく、人をハッピーにできるかどうかです。神もこれと同じで、「いる」と仮定した場合に、そこからどんな素晴らしいことを得られるか。問題はそこなのです。
つまり、あなたが神にどんな「機能」を期待するのか、そこから考えれば良い(Kindle頁:26)

努力したってダメな時はダメ。では、そういった理不尽にぶつかった時はどうすれば良いのでしょう?

 そう、ここで神です。もし、あなたが全知全能の神を信じていれば、「まあ、これも神の思し召しだろう」と神のせいにできるのです。誤解している人も多いと思いますが、神は別に努力した人すべての夢を叶える必要なんてありません。良い結果など出なくても一向に構わないのです。ただ、信者が「神は絶対間違えない。必ず正しいことをする」と本気で信じてさえいれば、どんな結果が出たとしても「これが神の意志なら間違いない」と肯定的に受け入れられるのです。神の役割はむしろここにあります。神は困っていれば助けてくれる便利なお助けキャラではなく、困っていること自体を肯定する存在だと言える(Kindle頁:26)

誰に信仰させるか?信者の話

じゃあ誰をハッピーにするのか。宗教は反社会的なものとして、一般社会とは違った評価軸を示し、その価値軸で「負け組」を救済せよ、と迫ります。

社会は常に正しいわけではありません。そして、社会の提示する価値基準では「負け組」となってしまう人が必ず存在します。そこであなたがすべきこととは、社会に反する新しい価値基準を提唱し、「負け組」の人を「勝ち組」へと変えてハッピーにすることなのです。つまり、あなたが石を投げたいと思う人たちこそ、あなたが救うべき人たちなのです(Kindle頁:39)

更にこのとき、相手が実際に困ってる場合ではなくても、「いやいやあなたは実は困ってるんですよ」と信じさせることも宗教の力。キリスト教の原罪だったり、仏教の悪人正機の基となっている考え方でもあります。

ここで大事なのは、相手は今まで「困っていると認識していなかった」ことです。「困っている」と思っていない相手に対して、「実はお前はこれこれこういう理由で、本当は既に困ってるんだぞ」というわけですから、ここにどういう理由を持ってくるかであなたのオリジナリティが問われます。そこで、もしあなたに「世間的には困ってないけど、あなただけは困っていること」があれば、それは大きなアドバンテージとなるでしょう。(Kindle頁:78) 

 この他にも、大衆に迎合しよう!インテリを巻き込もう!不要なものを売ろう!みたいな話がどんどん出てきてにやにや笑えます。それと真面目な宗教成立の考察があいまっているので、最後まで楽しく読み切れました。

おわりに

本書の中に、不幸に出会ったときの各宗教の捉え方に関する描写があるんですが、それがとても的を得ている感じがしました。

たとえば、病気や事故など何かの不幸に見舞われた時、ユダヤ教であれば「これも神の思し召し。神のすることは人間には計り知れないから神を信頼して耐えよう」と考えます。また、キリスト教も「神の思し召し。神を信じよう」と考えますし、イスラム教は「神が我々をテストしている」と考えるわけです。こうして意味付けられたことにより、弱っている人たちは「ただただ弱っている」のではなく、「何らかの意味があって弱っている」ことに気付きます。そして、その意味ゆえに自分の不幸を受け入れることができるようになるのです。これも一つのハッピーの形と言えるでしょう。  なお、仏教は不幸に説明を付けるというよりは、考え方一つで不幸もどうにかしようという宗教ですから、坊さんに相談しても、「病気になって不幸? そりゃ生きていれば病気にもなります」でたぶん終わりです。(Kindle頁:135)

 面白い。とってもいい本でした!