たなかの読書記録

淡々と、読んでよかったなぁと思う本を紹介していきます。本のジャンルはばらばら。紹介するタイミングは四半期/年ごとが基本、その他は気まぐれです。

"もし世の終わりに裁かれるなら、僕が本当の人生を生きてきたかどうかで判断してほしい"

”脳手術の前の晩、僕は死について考えた。僕は自分の一番重要な価値観とは何かを探り、自分に問うてみた。

もし死ぬのであれば、徹底抗戦して死ぬのか、それとも静かに降伏するのか。

自分のどんな面を人に見せて死にたいのか。

自分に満足しているのか。これまで人生で何をしてきたのか。

僕は本質的には良い人間だと思う。もちろんもっと良くもなれたが。でもそれと同時に、癌はそんなこと全く気にしないこともわかっていた。

 

僕は何を信じているのだろう。僕はあまり祈ったことはない。強く希望したり、強く願ったりしたことはあったけれど、祈りはしなかった。

子供のころに、宗教に関しては疑問を抱くようになっていたが、いくつかはっきりとした信念を持っている。簡単にいえば、僕は、自分が良い人間になる責任があると信じているし、勇敢で正直で勤勉で高潔な人間になろうと努力もしてきた。その上、家族に優しく、友人に誠実なら、そして社会にお返しをし、嘘をついたりだましたり盗んだりしていないなら、それで十分だと思った。

もし世の終わりに裁かれるなら、僕が本当の人生を生きてきたかどうかで判断してほしい。ある書物を信じているかどうかや、洗礼を受けているかどうかではなく。もし本当に「神」がいるなら、僕の人生の終わりに、「でもお前はクリスチャンではなかったではないか。だから地獄へ行くのだ」なんていうこと入ってほしくない。もしそう言われたら、僕はこう答える。

「どうぞご勝手に」”

ランス・アームストロング安次嶺佳子訳 「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」講談社

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

 

夢を聞かれたときに職業を答えたり、将来のことがほとんどキャリアの事だったり、

それを軸にするっていうのも選択肢の一つなんだけど、

追うべきはもっと信条に近いものなんじゃないかって。

「デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ」

物理学科の建物に向かっている時、遠くにファインマン先生の姿が見えた。私は、この二、三日先生をそれとなく見張っていたのだが、それは、機会を見てまた口をきいてくれるのか確かめたいと思っていたからだった。コンスタンチンに、「また後で」と言うと、私は先生のほうに歩いて行った。

近づいてみると、先生はじっと虹を眺めていた。思いつめたような、緊張感あふれる顔つきだった。虹を初めて見たような顔だった。それとも、虹を見るのはこれが最後、という顔だったというべきかもしれない。

私は、先生にそっと話しかけた。

ファインマン先生、こんにちは」

「見ろよ、虹だ」先生はこっちを見ずに言った。先生の声は、もう怒ってないようだったのでホッとした。

私も虹を見上げた。立ち止まって眺めると、ほんとうに見事な虹だった。そのころの私の日常とは別の世界が広がっていた。

「昔の人は、虹を見て何を思ったんでしょうね」

私はそうつぶやいた。星についての神話はたくさんあるが、虹も同じくらい神秘的だと思った。

「それはマレーに聞くといい」

先生は言われた。私は、その意見に従って、その後マレーに聞いてみた。そして、マレーが先住民の文化や古代文明の生き字引だと知った。マレーは先住民族の工芸品まで集めていて、彼が言うには、ナバホ族の人たちは、虹を幸運の前兆だと考え、それに対して他の部族は、虹を生と死を結ぶ架け橋だと考えていた。ただし、いろんな部族の名をマレーがあまりに正しく発音したので、私には聞き取れなかったのだが。

「私がたったひとつ知ってるのはね・・・」ファインマン先生は続けた。「こんな言い伝えだ。虹の端っこに天使が黄金をおいてて、それに手が届くのは裸の男だけってね。裸ならもっと他にすることがありそうなもんだけどね」

先生はいたずらっ子のように笑った。

 

「虹がどうやってできているか、最初に説明したのは誰か御存知ですか?」

デカルトだよ」そう言うと、少し間をおいてから、先生は私の目を覗きこんだ。

デカルトが虹を数学的に分析しょうと思ったのは、虹にどんな特徴があるからだと思う?」

「えーと。虹は、水滴の浮かんでいる大気に、観測者の後ろから日が射した時にできる色のついた弧の連続体で、正確には円錐体の断面です」

「それで?」

デカルトは、その水滴に注目して、虹の成り立ちを幾何学的に分析すれば問題は解決する、と考えたんじゃないでしょうか」

「君はこの現象の大切な特徴を見落としてるな」

「分かりました。降参です。デカルトを研究に駆り立てたのはなんだとおっしゃるんですか?」

デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ」

私は、どぎまぎして先生の顔を見た。先生と目があった。

「君の研究の方はどうだい?」

わたしは肩をすくめた。「それが、なかなか・・・」自分がコンスタンチンだったらなぁ、と思った。コンスタンチンは、いつだってソツのない男なのだ。

「聞いてもいいかな?小さい頃を思い出してみてくれ。君にとっちゃ、そんなに昔じゃないだろ?子供の頃、科学が好きだったか?科学に夢中になってたか?」

わたしはうなずいた。

「物心がついた頃からずっと」

「僕もさ」先生は言った。「てことは、きっとおもしろかったんだろ」

そう言うと、先生はまた歩き出したのだった。

 

レナード・ムロディナウ著 安平文子訳 「ファインマンさん 最後の授業」 p164-167

 

 

何かを始めるときに。

悩みの真ん中にいるときは誰だって自分が世界で一番つらいし今までで一番悲しい

"紅茶を飲みながらぽつぽつと話すままにしていたら、突然泣き出してしまった。家も学校もめんどくさい、大学なんか行きたくない、友達はバカばっかり、挙句の果てに彼からは忙しくなるから会えない、と言い捨てられたという。

まるでドラマのような、それも笑えちゃうような不幸のオンパレードなのだが、一緒に笑おうという誘いに乗れるほどの強さを今の彼女に求めるのは酷というものだろう。

あんたの年で親も学校も大好きな子なんていないよ、と言おうとしたがやめた。

 

いくら彼女が大袈裟に見えてもこれからの方がもっと大変よというのはただの脅しだ。年上の人間が年下の人間に、ただ「知らない」という理由だけで自分がちょっと垣間見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。

「誰もが通る道」という言葉は正しいようで正しくない。それぞれが、それぞれの道をそれぞれの悩み方で悩みながら歩くしかない。その解決法も人それぞれだから、アドバイスなんかしようがない。

できるのはただ、道の途中で息を切らし気味の人に、その時は楽しく歩いてる人が給水所のありかとか景色のいい場所をちょっと教えてあげることくらいか。

「この先さらに坂」とか言われたら歩く気も失せてしまう。

 

葛藤や混沌を他人とわかりあうことは不可能だが、でも24時間暗い顔をしていることはない、いろんな人とあって楽しいことも見つけて、ああ私が抱えているものなんて小さい小さい、と思える瞬間がいくつかあれば、生活はめちゃくちゃ救われる。

 

いまは自分の狭い世界で悶々としている彼女(や私)だが、大人になればさらに外側の世界についても悩んだり考えたらしなくてはならなくなるだろう。

しかしそれは同時に、今まで見えなかったもの、知らなかったものとの出会いも待ち受ける道のりだ。

経験値は上がる一方。楽しみにしていればいいのだと思う。

大丈夫、今が一番つらくて後は楽しくなるばっかりよと伝えた。

嘘ではない。

悩みの真ん中にいるときは誰だって自分が世界で一番つらいし今までで一番悲しい。"

 

小山田咲子「明け方の訪問者」, 『えいやっ!と飛び出すあの瞬間を愛してる』より